金平町(きんぺいちょう)公園は、No.2748 吉田町中公園などと同じく兵庫区浜山地区の区画整理事業の中で整備された公園です。
現地にはそのあたりの経緯や、町名の由来などが書かれた案内板が建てられています。
「きんぺいちょう」とは少し変わった町名ですが、もう少し西に行った東尻池あたりの庄屋さんにちなむ名だという伝承が残っているようです。吉田町の吉田さんと同じ江戸時代の人なのでしょうか。
■現地の案内板より
『金平町』の由来
西の高松町と東の吉田町にはさまれた町です。昔の東尻池村の宗国金平(むねくに・きんぺい)さんが村をつくった功績により東尻池村字金平山(きんぺいざん)と呼ばれていましたが、昭和2年に金平町となりました。
『吉田町』の由来
昔、このあたりは東尻池村の松林でした。天保4年(1833年)に西宮の油屋善右衛門という人が開拓に着手し 30町歩の田畑を開き幕府に願い出て1村を設立しました。
善右衛門の姓が「吉田」であったことから吉田新田と名付けられ、昭和2年に吉田町となりました。
案内板とは少し内容が異なりますが、神戸史学会編『新・神戸の町名』によれば、
東尻池村の庄屋で28代目の宗国金平から名づけられたといわれる。金平は訴訟のうまいやり手で、あちこちの土地争いを調停した。このあたりも金平の手腕で土地の訴訟がうまく片付いたので、金平の名前が残されたとされています。
調停上手で名前を残すとは、大岡越前なみの人物ですね。
さて、そんな金平さんの名を残す金平町公園ですが、おおむね東半分が芝生スペース、西半分が土敷きの広場と遊具スペースになっています。そして周りの住宅地との間にあまり柵を建てないようにして、どこからでも自然な感じで園内に入りやすくなるよう工夫されています。
芝生スペースも単純な広場ではなく、緩やかな地形の変化をつけたうえで、縁の方に細い水路を通して景色に変化を与えています。
実際のところどれほど水を流しているのかはわかりませんが、暑い日になれば、ちょっと足を水につけたくなります。
あと、足ツボを刺激しすぎて火照った足を冷ますのにも良さそうです。
土の広場との間の園路は、サクラの通り抜け状態になっていました。ご近所にこれだけきれいなサクラがあると嬉しいですね。
土の広場は20メートル四方くらいで、ゲートボールがギリギリできるかできないかくらいの広さです。
そのそばには、人工芝敷きの小さな遊具コーナーがあります。
遊具は小さな複合遊具と揺れる動物遊具くらいなので、低年齢の幼児向けの内容です。
ところで、冒頭に掲載したあるまちづくり事業についての案内板を見ると、もともとは100メートルほど離れたところに旧・金平町公園があり、それを移転・再整備する形で今の金平町公園が開かれたようです。
旧敷地は、今は集合住宅になっているようなので、ついでに行ってみました。
すると園内には、今も園名板がしっかりと残っていました。
ただ、園名板にしては位置が低すぎて変なので、記念碑的にかつての園名板を移設保存しているのではないかと考えました。
集合住宅の前庭のような立地で、揺れないように固定された元・揺れる動物遊具や鉄棒もあるので「ここが今も金平町公園なんだよ」と言われると信じてしまいそうですが、わざわざそう言ってくる人もいないでしょう。
ここまで来ると海がすぐそばで、造船所のクレーンが見える元・金平町公園でした。
(2021年3月訪問)
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