2736/1000 モーシヌムイ公園(沖縄県金武町)

2021/05/16

沖縄県 擬木の世界 金武町 身近な公園

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モーシヌ森公園は、沖縄県北部の町・金武町にある小公園です。
初めてその名を聞くと「モーシヌ森(モーシヌムイ)ってなんだろう?」と思うわけですが、ちゃんと園内には解説板が建てられています。

しかし、これがまた沖縄の言葉が続出で、難易度の高い内容となっています。


■現地の解説板より「モーシヌ森(モーシヌムイ)」
小字仲村渠(ナーカンダカリ)に所在。屋号「モーシ」(仲田姓)の前に位置することが名称の由来である。かつてゲートボール場跡に湧き水が出る井泉「ヌンドゥルチガー」があり、戦前、金武ノロが正月にアナガー(穴川)、ティーダンガーと共に拝む場所であったといわれる。現在は公園整備されており、一角には公園整備に際し、移されてきた拝所がある。 王府時代(近世期か)にはウドゥンヤーシキ(御殿屋敷)があったとされ、現在の金武公会堂の方へ移ったとされる。
現在ある松は昭和10年頃に、当時の青年会によって植樹されたものらしい。明治30年頃以前は村の女性達が祭祀舞踊のウスデーク(臼太鼓)を練習する場所であり、ウスデークは神サギ(神アサギ)にて行われたという。
並里区事務所

本ブログは、私自身の記憶を補助する役割を担っているので、拙いながらも調べたこと、考えたことを書き留めておきます。

まず屋号がモーシの家の前にある森なので、「モーシの森」が方言読みになって「モーシヌムイ」。森をムイと読むのは沖縄では一般的なので、ここはわかりますが、「モーシ」の由来・意味がわかりません。沖縄には真牛と書いてモーシという名があるので、ご先祖にそういう名の人がいらしたのでしょうか。

屋号がモーシだった仲田さんというのは、この地区出身で、戦前に沖縄県議会議長や衆議院議員を務めた仲田徳三(なかだ・とくぞう;1868-1962)の関係の家のことだと思われます。
本家・分家・親戚関係などはまったく知りませんが、国会議員になるくらいなので、本人の家でなくともその家系なら目印になるくらいの旧家・名家だったことが想像されます。

ヌンドゥンチガーは、分解するとヌル殿内・ガー。
ヌンは琉球の村の祭祀を取りしきる神女「ノロ」がヌル、ヌンと訛るもので、ノロの住むところがノロ殿内。ただしノロが住まなくなっても重要な拝所として名前が残ることがあります。
ですので、ノロ殿内の近くにある井泉(ガー)がヌンドゥンチガーなのでしょう。

アナガー、ティーダンガーは、どちらも個別のガーの呼び名で、明日以降の記事に登場する予定です。

女性だけで踊る祭祀舞踊・ウスデークを踊っていたという神サギ(神アサギ)は、海洋博記念公園に復元建物があるような、沖縄本島北部で見られる軒の低い建物を伴う祭祀場です。建物の形から「あしあげ」が訛ってアシャギ、アサギとなったようです。

ちなみに下写真は園内の休憩所。神サギの建物ではありません。

広葉樹っぽい木肌を見せるコンクリート擬木が見事だったので、写真に残しておきます。

ヌンドゥンチガーがあったというゲートボール場。解説板には「ゲートボール場跡」と書かれていましたが、どう見ても現役で、同時に4面とれるくらいの規模に夜間照明も付いた立派なものです。私が訪ねた時にも大勢の人が集まって大会の真っ最中でした。
園内でも、ここだけが周りよりも少し低くなっており、水が湧くにはちょうどよい地形のように思います。

「昭和10年頃に、当時の青年会によって植樹されたものらしい」マツと、「公園整備に際し、移されてきた拝所」は、これでしょうか。

マツの樹の後ろが小高い丘になっていて、頂上が広場になっているのですが、ウスデークを練習したのはこのあたりなのでしょうか。輪になって踊るには、ちょうどよいサイズです。
「あるいはウドゥンヤーシキ(御殿屋敷)があったの場所なのか?」とも考えますが、肝心のウドゥンヤーシキがどんなものかがよくわかりません。御殿というくらいなので村の主導者の屋敷なのだろうと思うのですが、沖縄では拝所・墓所をウドゥンと呼ぶこともあるので、まったくの謎です。

解説板ひとつで半日は遊べるモーシヌムイ公園でした。
解読について間違いなどありましたら、コメントを頂ければ幸いです。

(2021年3月訪問)

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