0.76ヘクタールと、まち中の公園としてはやや広めの敷地にテニスコート、ゲートボール場、遊具、駐車場などが設置されています。
私がイメージする沖縄のあしびなぁ(遊び庭)は、もう少し自由に使える広場なのですが、ここは用途の決まった施設ばかりです。
とくに芝生敷きのゲートボール場が3面もあって、北谷町のゲートボールの中心施設となっている様子がうかがえます。
ゲートボール場の周りをぐるりと園路が囲んでおり、その園路外側の狭っ苦しいところに遊具が詰め込まれています。
公園内外の境界にあたる斜面の法尻と園路に挟まれた部分にあるのは、雲梯やぶら下がりレール遊具など細長く直線的な遊具をつなげた複合遊具です。
ゲートボール場の周りをぐるりと園路が囲んでおり、その園路外側の狭っ苦しいところに遊具が詰め込まれています。
園路が曲がるところでは、ちゃんと遊具も折れ曲がっています。
もう一つの特徴的な施設としては、町内から移築された古民家があり、国の登録有形文化財になっています。
こういうものを公園に置く場合、たいていは「旧●●家住宅」のように固い呼び名にするのですが、ここは「うちなぁ家」と随分柔らかい名前で呼ばれています。
公園名の「あしびなぁ」、登録有形文化財の「うちなぁ」とも、今となっては沖縄居酒屋風に聞こえるのが少し残念ですが。
■現地の解説板より「うちなぁ家」
旧目取真家は、敷地家屋の制限令解除(1884)年以降の明治23(1890)年に北谷町字吉原(謝苅)に建築された木造赤煉瓦葺き平屋を平成17年に移築・復元したものです。
琉球王国時代の沖縄では1737年〜1884年の間、身分によって屋敷や家屋の大きさが制限され、家屋は4間に3間の主屋一棟と、3間に2間の台所一棟に限られました。また、建築用材の使用にも制限があって、農家は屋根を瓦葺きにすることをかたく禁じられていました。
母屋は、一番座、二番座、裏座、板間、台所からなっています。
東と南に面している部分には、雨端がとられ、強い直射日光や横殴りの雨が室内に入らないように考慮されています。
建築構造:木造平屋建本瓦葺/工法:継ぎ手、仕口は釘等を使用しないで、あり継ぎ、かま継ぎ、くさび、込み栓で施工/旧材比率:構造材60%、造作材42%、瓦50%。石材87%/建築面積:97,12m2(約29坪)/床面積:79,33m2(約24坪)
実はこの時は新型コロナの影響で閉館中だったため、塀の外から眺めるしかありませんでした。母屋以外にもいくつかの建物・施設が移築されているようなので、次の機会には建物の中までゆっくりと訪ねてみたいものです。
そしておまけみたいに書いておきますが、土敷きのテニスコート。
2011年にここで地盤沈下が発生し、原因を調べるために掘り返したら米軍時代に埋められたと思われる木片やコンクリート片などの廃棄物が見つかった場所だということです。
この時はダイオキシンなどの調査はされなかったのですが、その後、2015年に近くの私有地(同じく返還地)で地下のダイオキシン汚染が発覚したことから「やっぱりあのテニスコート、危ないんじゃないの?」と盛んに報道されたことを覚えています。
(2021年2月訪問)
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