越後長岡の偉人と言えば、幕末の志士・河井継之助、米百俵・小林虎三郎、そして連合艦隊の司令長官・山本五十六といったところが挙がります。
その中から、今日、12月8日にちなんだ山本五十六の生誕地にある山本記念公園を訪ねます。
山本五十六については、現地の解説板がまるで百科事典のように簡潔にまとめてくれているので、そのまま引用します。
■現地の解説板より「山本元帥生誕の地」
提督山本五十六は、明治17年(1884)旧長岡藩士高野貞吉の六男に生まれた。高野家は代々儒官と槍術師範役をつとめ、質素倹約の生活を家風とした。
五十六は海軍兵学校にはいり、大正5年、迎えられて旧長岡藩家老・山本家の名跡を継いだ。
海軍次官を経て、連合艦隊司令長官。昭和18年(1943)太平洋戦争において戦死、元帥の称号を受けた。
生家は戦災で焼失し、後に復元した。長岡市教育委員会
ここが山本五十六の生誕地ということは、高野家のあった場所ということになるのでしょうか。
高野家が藩でどのくらいの石高を得ていたのかは知りませんが、儒官・師範役なのでそれなりの高い地位にあったと思われ、まぁまぁの広さがあります。
門柱には、向かって左側に「山本記念公園」、右側には「山本元帥生誕地」と刻まれています。
門を入って左手に、山本の生家の建物があります。
建物そのものは「ちょっと古い2階建て木造住宅」といった感じで、明治初期のものだと言われればそう見えるし、戦後すぐにうちのお祖父ちゃんが建てたと言われても信じてしまうと思います。実際、戦後まもなくに復元された建物なのですが。
建物内も見学できるようになっており、山本の勉強部屋なんかも残っています。
建物から正面を見ると、手前の公園中央に噴水、一番奥に山本のブロンズ胸像があります。
公園としては下写真に写っている範囲がほぼ全体で、積雪地ならではとも言える、やや粗放で締まりに欠ける空間利用です。
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