カトリック教会でいうところの「神」を公園名とする天主公園は、浦上天主堂のすぐ目の前にある小公園です。
戦国時代、浦上地域はキリシタン大名の有馬晴信によってイエズス会に寄進されたという歴史を持つことから、江戸時代になって幕府直轄になった後も隠れキリシタンが多く暮らしており、江戸中期から明治初期にかけて4回のキリシタン弾圧(浦上崩れ)が行なわれます。
そうした苦難の後、禁制が解かれた信徒たちによって浦上天主堂が建設されたのが1914年(大正3年)のこと。
それから6年後の1920年(大正9年)、当時の浦上山里村が長崎市に編入される際に里郷、中野郷が持っていた山林等を財産区が引き継ぎ、さらに1973年(昭和48年)にそれを長崎市に売却して整備されたのが、天主公園です。
...と、石碑に刻まれていました。
■現地の石碑より
里郷および中野郷財産区は、大正9年10月1日、旧山里村が長崎市に編入される際、先祖から提供され郷有財産として所有していた貴重な財産である山林、原野など89,745平方メートルを昭和48年に長崎市の計画に基づく都市公園地として処分し、その処分金を地域の小中学校の教育施設の整備、拡充に資するためその費用を長崎市に寄付し、教育の向上に功績を残した。
また両財産区はその有するすべての財産をもってこの地に里中野郷会館を建設することにより地域住民の福祉の増進に大きく貢献するものである。ここに里中野郷会館の完成を記念し、記念碑を建立する。
さて、前置きが長くなりましたが天主公園。
2本の川が交わるところに位置しており、天主堂などがある場所からは一段下がったところにあたります。
天主堂との間に通る道には転落防止柵の代わりに頑丈なコンクリート壁が設置されているのですが、これに色違いの何枚かのステンドグラスがはめ込まれており、公園側から見ても非常に美しく仕上がっています。
ステンドグラスの目の前に、スパイラル式の滑り台。
別のステンドグラスの前には、2連ブランコ。
標準的なまっすぐの滑り台や、もう一基の2連ブランコなどもあって、やや古いものながら遊具は充実しています。
あとは、No.2413 糸満海のふるさと公園でも同じタイプのものを見かけた、モノレール型のターザン遊具。楕円状に繋がったレールの勾配の付け方に工夫があって、上手に滑るとグルっと回って帰ってくることができるという優れもの。
よくある直線的なターザン遊具とは違って、コーナーのところで遠心力で外に放り出されそうになる感覚も楽しめるところが魅力的です。
そして市街地にしては大きな広場もあります。
奥に見えているのは、カトリック長崎大司教館。地図にそう書いてあったのですが、実際に何をする施設なのかはよく知りません。
そして一角には、忠魂碑もありました。公園の開園が1973年なので、それ以前からどこかにあったものが移設されてきたのではないかと思います。
ドーム屋根のトイレもオシャレな天主公園でした。
(2019年11月訪問)
今改修工事をやってます。大幅に変わるそうです。
返信削除改修終わったら、またレポートお願い致します。
たかたかしさま
返信削除こんにちは、ブログ作者です。コメントありがとうございます。
浦上を訪ねたのは、もう去年のこと。工事が始まってしまうと、公園の様子は一気に変わってしまうかも知れませんね。
本ブログは作者がなにかの用事で訪ねた町の公園を記録するというスタイルなので、次の機会はいつのことになるかわかりませんが、浦上を訪れることがあればぜひ天主公園も覗いてみたいと思います。
今後とも本ブログをよろしくお願いいたします。