中野区の東京開都百年記念事業で整備された公園であり、JR中野駅からも徒歩7~8分の距離にあるなど、中野区を代表する公園の一つなのですが、ところどころに出てくるアイテムから、私が勝手に石ノ森章太郎を思い出してしまった不思議な公園でもあります。
まず、この考える人の台座に公園整備の経緯が書かれているのですが、元々の所有者のお名前が「石森芳太郎」さんというのです。そう、石ノ森の旧ペンネーム・石森章太郎と母音の構成は同じ漢字一文字違いです。
ちなみに石ノ森のペンネームは出身地の宮城県石森町にちなむもので、本人は町名と同じように石森で「いしのもり」と読んで欲しかったのに定着しなかったそうです。寄付者の芳太郎さんの名字は、なんと読むのでしょうか。
■現地の案内板より「紅葉山公園あんない」
この「紅葉山公園」は、中野区の東京開都百年記念事業として、建設されたものです。
当地はもと石森芳太郎氏の所有地でしたが古く大正年間からもみじの大樹が数多く植込まれ、「もみじ山」と呼ばれて四季折々の風情を伝えてきました。しかし大戦をはさんでいつしかもみじも散逸し、もみじ山の名だけが残ってしまいました。
このたび装いを新たにし、区立紅葉山公園として再び区民に親しまれることになりました。
公園面積:5162平方米 開園:昭和44年
中野区
石ノ森の記念館である石ノ森萬画館は、彼が少年時代に映画を見るために自転車で片道3時間かけて通ったという宮城県石巻市にあります(出身地の石森町(現・登米市)には石ノ森章太郎ふるさと記念館があります)。
公園内には、石巻からやってきた蒸気機関車が展示されています。
■現地の解説板より「形式C-11」
C-11は代表的なタンク機関車で、昭和7年C-10の改良型として都市近郊や支線の旅客用に誕生しましたが、やがて貨物用・入換用にと用途をひろげ、15年間で400輌近く製造されました。
C-11-368は昭和21年製作で、第4次製造に含まれる車輌です。標準型と異なり炭車上部が斜でなくなったりサイドタンクやキャブ下側の線が変更されたりしています。
ここへ来るまで延べ113万kmを走破し昭和47年(1972)7月まで、石巻線(宮城県石巻~女川間)で活躍していた機関車です。
蒸気機関車の横が遊具コーナーなのですが、そこにある揺れる乗り物遊具も東北新幹線はやてのカラーリングになっており、石巻から来た機関車の後継を自負しています(石巻には新幹線は通っていませんが)。
蒸気機関車の展示場の後ろに見えている建物が、なかのZERO。大小の音楽ホールや図書館、プラネタリウムなどの複合文化施設です。
そして、石ノ森が鈴木伸一、藤子不二雄の二人、つのだじろうらとともに設立したアニメ制作会社の名前が、スタジオ・ゼロ。
中公文庫コミック版『忍者ハットリくん1巻』の後書き(北見けんいち)によれば「社屋は新中野の八百屋さんの二階のボロ部屋」でスタートしたそうです。
と、このように私の妄想を掻き立ててくれた紅葉山公園ですが、本当は庭園風の滝などもあって季節の木々が美しい公園です。
訪れたのは11月でしたが、まだ緑が盛んな紅葉山公園でした。
(2019年11月訪問)
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