2401/1000 新森中央公園(大阪市旭区)

2020/04/21

おもしろ滑り台 山遊具 身近な公園 大阪市旭区 大阪府

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大阪市北東部の旭区にある新森(しんもり)中央公園は、昭和初期の区画整理事業で生み出された町の中心にある約8,800平米の公園です。
そして、大阪駅前から「新森公園前」行きのバスも出ているため、なんとはなしに大阪では有名な公園の一つです。

バス停の横から園内に入ると、正面には大きなフェニックスがそびえています。

フェニックスからちょっと左を見ると、森小路遺跡の石標がありました。
しかし、横手に刻まれた文字は「市制施行70周年記念」ですので、建てられた経緯が今ひとつよくわかりません。

まぁでも、横には解説板が建てられていたので、森小路遺跡の概要はよくわかります。

■現地の解説板より「森小路遺跡」
森小路遺跡は、弥生時代の代表的な遺跡で、当時大阪平野に広がっていた河内潟という内海の中の微高地に位置していた。その範囲は現在の新森中央公園を中心に、半径300~400メートルにわたると考えられている。
昭和6年(1931)このあたりで、弥生式土器や石器が発見され、遺跡の存在が明らかになった。以来、現在に至る発掘調査の結果、地表から約1メートル下に、自然堆積によって形成された砂層が確認され、その上層の灰色~黒色粘土層から、住居の跡や周囲に堀をめぐらした墓が発見された。さらに、大量の弥生式土器をはじめとして、長さ21センチの石剣、鍬、鋤、木臼などの農具、狩猟・採取した動物の骨や貝類など、さまざまな遺物が見つかっている。これらのことから、弥生時代の人々が、農耕や狩猟・採取を行いながら定住して生活していた様子がうかがえる。
また、大阪市内で発見された最古の絵とされる、人の姿を刻んだ土器片や淀川・河内潟を利用した人々の交流によってもたらされた生駒・琵琶湖周辺で製造された土器も出土している。

大阪市教育委員会

ちなみに、解説板にある「大阪市内で発見された最古の絵」の拡大がこちら。
コナン・ドイルの『踊る人形』のような絵が描かれています。うむ、確かに人の姿です。

この石標の奥、出入口から見れば左手の方には立派な噴水がありました。水は停まっていますが。
大阪市の資料によれば、これは公園としては2代目の噴水で1987年(昭和62年)にできたものだそうです。

今度は反対方向、バス停のある出入口から入って右を見ると、児童館の手前に遊具コーナーがあります。

目立っているのは、なんと言ってもこちらのキリンでしょう。
お尻から上って、前足の間から滑り出てくる構造になっています。

黒目がちで全然笑っていないところが、いかにもキリンっぽいですね。
口元がちょっとクチバシのようになってしまっているところに、造形面での苦労を偲ぶことができます。

そして足元の逆U字形の金具を見ると、設置時の苦労に思いが至ります。
このキリンの場合、キリンそのものが滑り台の脚部、デッキなどになっているので「こんな下駄履きみたいな金具に本体を溶接しただけで、よく上手に全体を支えているなぁ」と感心してしまいます。

こちらは、大阪市内ではよく見かけるタイプの石の山遊具。
それほど背が高くなく、傾斜も緩めなので小さな公園によく似合うのですが、ここでは大きな公園に置かれています。

ほかには、やや小ぶりなジャングルジム、砂場などが、この一角にあります。

そこからパーゴラを挟んで少しだけ離れたところには、太鼓橋のラダー遊具、小ぶりな複合遊具などが設置されています。

その先には、2連ブランコを縦に3基ならべたブランココーナー。
いつだって人気の遊具とはいえ、配置としては少しかわっています。

でも、それはおそらく、広場をできるだけ広く確保したかったために、ブランコを詰め込まないといけなかったのでしょう。
公園敷地の中央には、ざっくりと40メートル四方くらいはある大きめの広場が取られています。

広場の東端には、1メートルほど高いステージ状のスペースが取られています。
中央には旗ポールもあるので、じっさいステージとして作られたのでしょうが、現在はもっぱら園外との通り道として使われていると思われます。

そして、私もステージを通り抜けて外へ出てみると、歩道には非常にデザイン性の高い照明らしきものが設置されていました。

こんな彫金なんて普通の公共灯には使いませんから、地域のシンボルとして力の入った整備が行なわれてきたことがうかがえる新森中央公園でした。

(2019年10月訪問)

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