糸満市の中心にある糸満ロータリー。
ここを通るたびに、すぐそばの小さな丘の上にある展望塔が気になっていたのですが、通り掛かるのは仕事の時が多く、なかなか上まで登る機会がありませんでした。
がしかし、このたび遂に行ってきました。
丘の麓には沖縄独特の家墓がいくつかあります。資料によれば、この中には最後の南山王・他魯毎(たろまい、たるみー:在位1415~1429年)が葬られたとされる墓があるそうなのですが、詳しいことはよく知りません。ので、素通りして横の坂道を登ります。
すると、公園へと通じる階段が登場し、頂上に大きな展望塔が見えてきました。
この時点で園内までの高低差は10メートルくらいあるので、その上に建っている展望塔はかなり高く見えます。
そもそも、この小丘は戦後に埋め立てが進むまでは海岸沿いにあり、沖縄で一番の漁師町として知られる糸満の漁師たちが漁や航海の目印としたことが山巓毛の名の由来だそうです。
■現地の解説板より「サンティン毛の由来」
古代の航海で目標を定めされる御嶽をおさん嶽と呼んでおり、サンは航海および近海における漁場設定の目印になる山のことと考えられる。
また、糸満魚師が陸地の頂上部の目印で自分の位置を確認し見当をつけることをサンアティン(サンを当てる)ということから山巓毛(さんてぃんもう)は、サンを当てる丘の意味があるものと考えられている。(日本地名大辞典より)
園内に入ってみると、敷地は5~6段くらいに細かく段切りされており、公園になる以前はなんらかの建物があった様子が見て取れます。展望塔も最上段ではなく、一段下にあったのですね。
最上段にある八角形のコンクリート構造物は、戦争中の防空監視哨の跡だそうです。
解説には「18人が3交代で詰めていた」と書かれていますので、このサイズの小屋みたいな施設に一度に6人が働いていたのでしょうか。かなり窮屈ですね。
■現地の解説板より「糸満防空監視哨」
山巓毛(さんてぃんもー)の頂上にある正八角形のコンクリート製台座は、戦時中の防空監視哨(かんししょう)の跡です。防空監視哨、上空に飛来する飛行機を速やかに発見し、敵・味方を識別して迅速、確実に防空機関に通報するための施設で、空襲警報の発令など、防空上の判断の基礎となったものです。
日本軍は米軍に比べ、レーダー開発が非常に遅れ、そのため人間の視覚聴覚によって敵機を発見する、防空監視を重要視していました。沖縄県では、防空監視隊本部を県庁に設置して県知事が統監となりましたが、実際の運営は警察が中心でした。
また県内には11カ所の監視哨があり、糸満防空監視哨には哨長・副哨長などを含め21人が勤務していました。防空監視は18人が3班に分かれ、3交代制で24時間監視していました。1944(昭和19)年の10・10空襲の際には南東方向に米軍艦載機の大編隊を発見し、監視隊本部へ報告しましたが、空襲警報の発令は行われませんでした。
また、この軍施設遺構のそばに、海の方角を拝むための香炉が置かれているあたりが、いかにも沖縄です。
その横手には御大典記念山巓毛改修碑と国旗掲揚台跡が残されています。
改修碑は、昭和天皇の即位を記念して1932年(昭和7年)に山巓毛が整備された際の記念碑だということです。また国旗掲揚台には「皇太子殿下御誕生記念」、「昭和九年八月一日建立」と刻まれているので、昭和天皇の皇太子、すなわち現在の明仁上皇の誕生を記念してのものだということがわかります。
こうしたものが設置されているところからみて、戦争中に軍施設になる以前にも、現在とは違った公園的な公共オープンスペースがあったことが想像されます。
ちなみに石碑が横倒しになっているのは、現地の解説板には「沖縄戦当時日本軍が、米軍の攻撃目標になるとして、台座から碑身を切り倒しました。」と書かれているのですが、そこまで大きくもない、むしろ監視哨の建物の方が大きかったのでは? と思うので、この理由付けはいささか謎めいています。
ちなみに、戦前の石碑の様子は、糸満市のHPにある『1945(昭和20)年ごろの字糸満』という地図に掲載されています。
この段には、キノコ形の東屋もあって、ここからでも十分によい見晴らしが楽しめます。
とは言え、せっかく来たので螺旋階段を通って展望塔に登ります。
展望台部分はぐるりと一回りできるようになっており、360度の展望が楽しめます。
展望塔から丘の頂部ごしに、南にある糸満ロータリーを眺めるとこんな感じ。
ロータリーの周りは再開発工事中のため、見た目には以前よりも寂しくなりました。
西は糸満漁港があるのですが、埋立てが進んだため少し遠く見えます。
北の方には、まず公園の続きがあり、市街地の向こうに、海人の信仰対象として糸満で大切にされている白銀堂のある森が見えます。
展望台を下りて、北の方に見えた公園の続きに行ってみます。
しかしそこには、草茫々で足を踏み入れることも難しい状態となった遊具広場がありました。
かなり立派な複合遊具なのですが、これではまったく遊ぶことができません。
シーサーが海を見つめる絵が描かれたガケ滑り台も、革靴で上り下りできるくらいに表面がザラザラに傷んでいました。
そこからさらに奥へ行くと、かつては糸満警察署があった区画にトイレ、広場などが整備されています。
ただ、こちらの区画はどこまでが公園なのかよくわからない構造になっており、歩いているうちにお墓のようなところに出たので早々に引き返しました。
行ってみたら、思っていた以上にいろいろあって面白かった山巓毛公園でした。
(2019年9月訪問)
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