この鎧橋の東側の橋詰に、南北ひとつずつの橋詰広場があります。
しかし現地に園名板などはなく、中央区HPの公園・広場一覧にも掲載されていないので、公共施設としての位置づけはよくわかりません。
もっとも、南側の橋詰広場は、取り立てて広場のような整備はなされておらず、大きな植樹帯、もしくは公衆トイレの前庭といった体裁です。
自由に使える空間としては、これだけですからね。
トイレの壁に描かれたタイル画は、一見するとアリかなにか昆虫のようにも見えるのですが、場所が鎧橋ですので、鎧兜の武者なのでしょう。多分。
一方、北側は、敷地の広さに対して、その中に建てられた掲揚台の旗竿が尋常ではないほどに目立っている、不思議な空間になっています。
旗竿は隣のビルの5階くらいの高さまで伸びており、おそらくは首都高を走る車からもよく見えることと思われます。
台座を見ると、
御成婚記念
昭和34年4月吉日 建立
題字 正田貞一郎翁
建立 小網総町
そこで気になったのは、題字の正田貞一郎翁。
名字からして美智子上皇后の関係者なのだろうと思って調べてみると、関係者どころか祖父にあたる人物でした。
いちおう屋根が架かった広場状のスペースもあるのですが、旗竿ばかりが気になるので、やっぱり広場ではないのかと思った鎧橋の橋詰広場でした。
(2019年8月訪問)
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