ドラゴンパークは、気仙沼市役所の東隣にある公園です。
園名板にもドラゴンパークと書かれているのですが、市役所の資料には八日町1丁目54-1に所在する八日町(ようかまち)公園というのが掲載されているので、正式名称は後者の方なのだろうと思います。
東日本大震災では、隣に建つビルの1階が大きな被害を受け、園内も浸水し、トイレなどに被害が出ましたが、土木構造物そのものに大きな被害はなかったと記憶しています。
で、「どこがドラゴン?」かと言えば、園内にドラゴンの頭のモニュメントがあります。
草に埋もれてわかりにくいのですが、自然石とカラータイルを組み合わせて、ガケから顔を出すドラゴンが形作られています。
ドラゴン・ヘッドをつくったからドラゴンパークなのか、もともとドラゴンに関係する言い伝えなどがあったからドラゴン・ヘッドが作られたのかはわかりませんが、とにかくドラゴンです。
ただ、訪れた時のドラゴン・ヘッドはかなり草に埋もれていて、8年前に訪ねた時の写真のほうが、状態がよくわかります。
この時は、東日本大震災の慰霊のための献花台があり、ガラスの浮き球が供えられていました。
2011年5月のドラゴンパーク |
この場所は斜面地の裾にあたり、海抜10~20メートルほどで気仙沼市街地の中では、やや高い位置にあります。
昔から繰り返し津波の被害にあっていた三陸地方では、これくらいの海抜の場所が江戸時代からの役所跡になっている例をよく見かけるのですが、ここも「気仙沼会所」跡だそうです。
現地の解説板より「気仙沼御会所跡」
現在の気仙沼市の区域は、江戸時代には、11の村(気仙沼、鹿折、月舘、新城、松崎、赤岩、岩月、最知、長磯、波路上、大島)に分かれておりました。
この地域は、鎌倉時代から、豪族熊谷氏の所領であり、その城下には早くから市が開かれ、江戸時代初期には、既に気仙沼本郷と称される町場となっていました。
現在の三日町、八日町は、細浦と称された入江でありましたが、寛永年間(1624~44年)からの埋め立てとともに、当初の古町周辺から、町は進展してまいりました。
寛政年間(1789~1801)の絵図を見ると、現在地付近に、本吉郡北方の御会所(代官所)が置かれています。
これは、現在の本吉郡唐桑町、本吉町、歌津町と気仙沼市の区域を管轄する仙台藩の施設であり、侍である代官など郡方役人と、町人である大肝煎が執務した役所といわれております。
2001年11月11日 伊達政宗仙台開府400年を記念して
園内は、どことなく龍の体を思わせるような、自然石と曲線を多用したデザインの階段が続いています。
ガケの上から園内を見下ろしたところ。
公園そのものはさほど広いわけでもないのですが、このガケの上から市役所庁舎や、もっとガケの上の別のオープンスペースに移動できるようになっており、もともと津波避難を意図した配置だと読み取れます。
見た目もさることながら、空間配置が非常に興味深いドラゴンパークでした。
(2019年7月訪問)
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