1923年(大正12年)の関東大震災の後、全国から集まった義捐金をもとに設立された財団法人同潤会が、東京や横浜の各地に、当時としては先進的な鉄筋コンクリート造の集合住宅を建設します。
これが「同潤会アパート」と呼ばれるもので、資料によれば16ヵ所に建設されたそうで、このうち、現在の東急東横線の代官山駅北側にあったのが代官山アパートです。
鹿島建設のサイトによれば、「アパート」と言っても学生下宿のようなものではなく、全36棟337室、娯楽室、食堂、自家水道、公園、公衆浴場などを含んでいたそうなので、後の都営アパートと比べても引けを取らないものだったと言えます。
再開発前の代官山アパート: 代官山再開発に関する鹿島建設のページから引用して https://www.kajima.co.jp/news/digest/jul_1999/tokushu/toku2.htm |
これが1990年代の終わりに再開発されて現在のようなタワーマンションに変わりました。この時に一緒につくられたのが、代官山公園です。
あたりには、同潤会アパートの名残を留めるものは見当たらないのですが、公園の中に、公衆浴場のタイル絵が保存されていました。
解説板で「鯉」は「客、来い」の意味だと教えられ、御徒町の燕湯や、浅草の蛇骨湯(2019年5月末で廃業予定)にある鯉の池のことを思い出しました。
■現地の解説板より「旧同潤会代官山アパート 文化湯タイル絵」
昭和2年(1927)、この地に旧同潤会代官山アパートが建てられました。アパート内には銭湯もあり「文化湯」と呼ばれ、アパートの住人だけでなく、近隣の多くの人々に利用され、親しまれてきました。
このタイル絵は、昭和30年頃「文化湯」が改装された際、壁面に飾られたものです。九谷焼で、客がたくさん「来い」という願いが込められ、鯉が描かれています。長く愛され続けた「文化湯」をいつまでも後世に伝えたいと、ここに移設しました。
平成12年8月 渋谷区
そのほか、公園内の大きな樹木は、同潤会アパートの時代から残るものかも知れません。
さて、現在の代官山公園ですが、タワーマンション外構の緑道と繋がっており、小さいながらも開放的な雰囲気があります。
仕立てとしては幼児向けの遊び場で、小ぶりな複合遊具と揺れる乗物遊具、パーゴラなどがあります。
滑り台は、夏になると照らされて滑り部が熱くなりやすいタイプ。
パーゴラの周りには揺れるリス、飛行機があります。
ビルの谷間に小さく光る代官山公園でした。
(2019年3月訪問)
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