この兄弟皇子は履中天皇の孫にあたりますが、幼い頃から政争に巻き込まれ、東播磨(明石、三木あたり)で身分を隠して潜伏し、成長した後に都に復帰。互いに譲り合った結果、弟が先に23代顕宗天皇に、兄が24代仁賢天皇となったといわれています。
そんな王子神社の近くにある王子公園は、王子小学校、王子幼稚園と隣接する小公園です。
区画整理地らしい東西に長い長方形をした敷地は、中央に通路が通っており、まっすぐに小学校まで通り抜けることができます。
これの東側が土敷きの広場、西側が遊具コーナーとなっています。
遊具広場は石の山遊具、滑り台、ブランコ、シーソーなど、小学校に隣接するだけあって、なかなか充実しています。
なんとなく顔っぽく見える石の山遊具は、同じ明石市内のNo.1754 栄町公園で見かけたものと同じタイプだと思われます。
それら遊具以上に目立っているのが、路面電車を再利用した集会施設。その名も「電車会館」です。
明石市内を走っていた車両ではなく、神戸市電として使われていた車両です。どういう経緯でここまで来たのかは不明。
車台部分がコンクリートブロック積みの基礎になっていたり、ドアが普通のアルミドアになっていたり、窓もアルミサッシに付け替えられたりしているわけですが、意外に見た目の状態は良いように思います。
思うに、柵に囲まれたところにただ置きっぱなしにされた「保存」よりも、たっぷりと使い倒している方が状態が保たれるのではないでしょうか。
そのほかに目についたものとしては、明石市が市内各地に整備している「花の歳時記園」の歌碑があります。
妹が見し あふち(楝)の花は 散りぬべし わが泣く涙 いまだ干なくに
山上憶良
解説によれば「あふち(楝)」とはセンダンのことらしく、石碑のすぐ横のわかりやすいところに植えられていました。ただし訪れたのが秋だったので、白紫色の花ではなく黄色い実が付き始めていました。
夕暮れ時にも子供でいっぱいの明石市の王子公園でした。
(2018年9月訪問)
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