日本中に赤と白のサンタクロース模様があふれかえるこの季節に、黒と白のダンダラ模様に埋め尽くされる町があります。
それが赤穂浪士のふるさと、兵庫県赤穂市です。
吉良上野介と浅野内匠頭のトラブルにも塩の生産が関係していたとも言われますが、とにかく赤穂の海岸部では、古くは奈良時代から製塩が行われていたことが記録に残っており、江戸時代には赤穂藩により大々的な干拓が進められ、国内有数の塩の生産地となりました。
2018年・第115回赤穂義士祭チラシより抜粋 |
その頃から赤穂城と城下町を挟んで東浜、西浜とに塩田は分かれており、最盛期には合計約400ヘクタールにも及ぶ塩田が広がっていたそうですが、1970年代にイオン交換膜法という工業的な手法が導入されたため塩田は不要となり、埋め立てられて工場や住宅地へと転用されました。
そんな歴史的な名を残すのが赤穂市の東浜町。区画整理された住宅地の中で中心的な公園となっているのが東浜公園です。
南半分がグラウンド、中央にモニュメントを置いて、その北側が盛土山になっています。
区画整理は大変な手間がかかる事業なので、その記念碑を建てることがよくあるのですが、ここはよほど大変だったのです、高さ10メートル以上はある巨大なモニュメントが建っています。
少し角度を変えてみると、周りには動物の石像が並べられており、日時計になっているようです。
しかし、丑(牛)の生首など、ちょっと独特のセンスの石像です。雨乞祭の生贄にされた牛かと思いました。
そして、モニュメントの周りの地面には、これまた手のかかったタイル画がありました。
どうやら、塩田時代の地形と、埋め立てられ区画整理が行なわれた後の様子とを対比できるようになっているようです。
ただ、元地形についての知識が少ないことと、かなりダイナミックに変化しているため、前・後をそれほど上手に見比べることができません。
上写真と下写真は、本当に同じ地区を示しているのでしょうか。
さらに北にそびえる盛土山。
埋立地の公園なので、もとからあったものではなく、公園整備に際して盛られたものだろうと思います。
南向きの斜面は滑り台とアスレチック遊具になっています。
まだまだヒョロっとした樹が多い林の中から飛び出してくるロング滑り台もあります。
そのほかには、標準的な滑り台、ブランコ、揺れる動物などの遊具や、大人向けの健康器具も設置されています。
総じてやや過剰気味な施設に、塩田を失った地域の喪失感のようなものも感じてしまう東浜公園でした。
(2018年8月訪問)
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