そんな大和田に古くからあるのが住吉神社(大和田住吉神社)で、その隣にあるのが大和田北公園です。
神社境内と比べると、公園の方が1メートルくらい低くなっています。
そのせいだけでもないのでしょうが、公園全体に少し湿り気があるように感じます。
とくに神社北側のブロックは陽あたりの悪さも手伝って、一層の湿っぽさです。
と言っても、湿っぽいから悪いかというとそういうわけでもなく、夏には涼しい風を運んでくれそうです。
敷地は不整形ですが、大まかに遊具コーナー、土敷きの小広場、石張りのエントランス広場と上に挙げた北側ブロックとに分けられます。
遊具コーナーは、古株の石の山遊具を中心に、滑り台、ブランコ、砂場などが配置される形です。
山遊具は、階段ひとつで頂上に登れば、3種類の滑り台が楽しめるタイプ。トンネルも付いています。
滑り台や砂場は、まぁ普通ですね。
ところで、住吉神社の境内にある「判官松之跡」の石碑は、源平屋島の合戦の直前に源義経が植えた松があったという伝承碑です。
●現地の解説板より「判官松の由来」
平家物語巻第11逆櫓の記述によれば「元暦2年2月3日、九郎判官義経都をたって摂津国渡辺(今の堀江)よるふなぞろえして八嶋へすでによせんとす。三河守範頼も同日都をたって摂津国神埼(今の西淀川)より兵船をそろえて山陽道におもむかんとす」とある。
平家追討の軍勢は折からの台風の襲来にあり一時退避を余儀なくされ、陣を張ったのがこの地である。その時義経はあらためて住吉大明神に海上安全の祈願をし一本の松の苗を手植えした。それが「判官の松」の由来である。(以下略)
No.79 南大江公園では、義経が八嶋(屋島)を攻めるにあたって梶原景時と論争をした場所(逆櫓の松)が登場しました。「退却戦も考えて船の前にも櫓をつけよう(逆櫓)」と提案した景時に対して、義経は「戦う前から退却なんて考えるかよ!」と突っぱねて嵐の中を強行出発したという伝承です。
両方の伝承の辻褄をあわせるなら、強がりを言って飛び出したわりには、すぐに引き返して5キロほど離れたこの地に退避したことになります。
案外頼りないな、義経...
(2018年6月訪問)
0 件のコメント:
コメントを投稿