さて、かつての京都洛中への東の出入口と言えば三条口(粟田口)で、ここから東海道や中山道が通じていました。ということで、京阪三条駅から5分ほど歩いた鴨川東岸には、都に悪いものが入るのを防ぐために大将軍神社が祀られています。
この神社の斜め向かいあたりに三条東公園があるのですが、付近は「都の玄関前なのだけれど都の中ではない」という絶妙の立地で、明治になっても鉄道が通じるまでは旅人相手に草鞋などを安く売る人が多く集まって住んでいたそうです。
今で言えば、駅前ビルに安売りチケットの店が集まっているような感じでしょうか。
さて、そんな歴史的な経緯をもつ地区にある三条東公園。
四方を道路に囲まれた一辺30メートルほどの正方形に近い敷地をしています。
そのうちの2/3程が土敷きの広場で、残りが遊具コーナーになっています。
遊具コーナーには、タイヤブランコ付きの滑り台、雲梯、鉄棒など。
あと、敷地の北東側の一角に、「総寺(通称)ノ跡」という石碑があります。
総寺がどのようなものなのか、石碑だけでは情報量が少なすぎてわからないのですが、「石碑を建ててまで記念するのに『通称』で良いの?」という疑問は湧いてきます。
一方、裏面に刻まれた「大将湯処理委員会」の名からは、公園のあった場所がかつては「大将湯」という共同浴場であったことがうかがえます。
京都では、明治以降にコミュニティの生活改善や社会福祉向上のために公衆浴場が建てられた経緯があるのですが、中には集会室などを備えた一種の地区共同施設のような性格を持つ浴場もあったようなので、廃止にあたって「処理委員会」が設けられたのでしょう。
小さな公園ですが、もう少し経緯を知りたくなる三条東公園でした。
(2018年2月訪問)
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