下写真は東端の園外から見たところ。
卸売市場を囲む高い塀の横に、軽トラしか通れないような細道があり、それに沿って幅約15メートル、長さ120メートルくらいの公園が続いています。肩が強いプロ野球選手ならノーバウンドで遠投できるくらいの距離です。
少し進んで園内から眺めた所。おおむね東半分が遊具コーナー、西半分が広場になっています。
遊具コーナーの一角には、地蔵堂もありました。
遊具はジャングルジム、プレーウォール、滑り台、ブランコ、シーソーなどがあります。
公園の規模としては決して大きくないのですが、細長いために隙間が怖くて遊具で埋めているような印象もあります。
滑り台は、同じものが2基、斜向かいに設置されています。
形はまったく同じ、京都市の標準タイプなのですが、わずかに彩色を変えてあるところに美意識というか拘りを感じます。
これは、吊り輪か、あるいは箱型ブランコだったのでしょうか、フレームだけが残された謎の遊具跡。
子供には少し背が高いですが、成人男性ならぶら下がり健康器として使用可能です。
公園の中ほどには、40年ほど前に京都市で進められていた「”公害のない緑豊かな住みよいまちづくり”市民ぐるみ運動」の百万本植樹達成記念碑があり、その周りが「記念の森」と命名されています。
記念の構造が少し複雑なように思いますが、ここ「記念の森」のケヤキなどは、市民ぐるみ運動で植えられた100万本の中に含まれているのでしょうか。それとも、100万本植え終わったことを記念して、森をつくったのか?
記念の森を過ぎると、西端の広場に出ます。広場のサイズは、ゲートボール一面分くらいです。
そして、西端から公園の外に出たところに、平安京朱雀大路の解説板がありました。
この公園の西50メートルほどの場所を南北に走る千本通は、平安京朱雀大路の痕跡を留める道だそうです。
●現地の解説板より「平安京朱雀大路跡」
朱雀大路は、平安京の朱雀門から南へ羅城門まで、平安京の中心を南北約4kmにわたって走る主要大路である。
道路の幅は28丈(約84m)をはかり、両側には溝、犬走、垣 が設けられ、さらに柳の並木がこの大路に色どりを添えていたといわれる。朱雀大路の両わきには、貴族の邸宅や役所の建物などがたちならび、迎賓館としての東、西鴻臚館や天皇家別邸である朱雀院などもそこに建てられていた。
この大規模な道路も、平安後期ごろから無用の長物と化して、鎌倉以後、急速にその機能を失い、荒廃していった。この朱雀大路の痕跡をとどめるのが、現在の千本通りである。現在地は昭和50年夏、秋の発掘調査によって、朱雀大路の一角が発見された地点である。ここでは、平安京楊梅小路と朱雀大路の交差点を中心に、朱雀大路東側溝が延長120mにわたって検出され、はじめて朱雀大路の正確な位置が確認されたのである。
昭和53年9月1日 京都市
解説板を素直に読むと、現在の千本通よりもずっと広い朱雀大路がこの公園の横まで広がっていて、公園南側の細道が平安京楊梅小路の名残であり、その2本の道の交差点がこの撮影場所だということかと思います。多少ずれているかも知れませんけどね。
園名板にも歴史を感じる中堂寺公園でした。
(2017年10月訪問)
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