昭和に入って住宅開発が進むようになると竹林は急速に姿を消したようですが、屋敷林として残っていた竹林が区に寄贈されて公園となったのが、すずめのお宿緑地公園です。
●現地の案内板より「すずめのお宿緑地公園の由来」
この付近は、昭和のはじめまで目黒でも有数の竹林で、良い竹の子がとれました。竹林には無数のすずめが住みつき、朝早くいづこへともなく飛び立ち、夕方には群れをなして帰ってくることから、いつしか人々は、ここを「すずめのお宿」と呼ぶようになりました。
この土地の所有者、角田セイさんは、長年ここで一人で暮らしをしていましたが、「土地は自分の死後お国に返したい」といって大事にしておられたそうです。その尊いご遺志が生かされて、角田セイさんの没後、目黒区が国からこれを借り受けて公園を造り、多くの人々の憩いの場として利用することができることとなったものです。
ここに「すずめのお宿緑地公園」の由来を記して、故人のご遺志に深い感謝をささげます。
昭和56年4月吉日 東京都目黒区
といっても、全体が竹林というわけでもなく、大雑把に言って園内の北半分が竹林、南半分は広場とシイなどの高木林です。
また、竹林そのものは柵に囲まれていて、自由に出入りできるところはほとんどありません。タケノコを掘り盗む人などがいるのでしょう。
ちなみに、柵はよくできた「擬竹」です。
園内には大・小2ヵ所の広場があります。
敷地の中央にある大きい方はまさしく広場で、高木に囲まれて静かな雰囲気があります。
敷地の南橋にある小さい方は少しだけ遊具があって、パーゴラなども設置されています。
ちなみにパーゴラと足元のスツールはコンクリート製の擬木造り。
竹林の周りは擬竹、カシなどの林の中は擬木と使い分けているところに、芸の細かさを感じます。
ちなみにパーゴラの横手にある遊具は、本物の丸太です。
また竹林の中には、古民家があります。はじめは公園の土地を寄付した角田セイさんの旧宅かと思ったのですが、説明をよく読んでみると、区内の別の場所から移築されたものだそうです。
私が訪れた日は休館日だったので門の外から覗き見ることしかできませんでしたが、普段は見学や農家の年中行事体験などができるそうです。
昨日のNo.1659 碑文谷公園と並んで、近くに住んでいたら頻繁に通ってしまいそうなすずめのお宿緑地公園でした。
●目黒区による公園紹介ページ
●歴史を訪ねて 目黒のタケノコ(目黒区HP)
(2017年10月訪問)
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