全長3km以上ある長い公園なので、たまたま訪ねた一部分だけを記録に残します。
そもそも、大和盆地を流れる大和川の上流部が初瀬川で、万葉集の時代には「はつせがわ」と呼ばれて歌枕にもなっていましたが、今は「はせがわ」と呼びます。
1982年(昭和57年)8月、台風と低気圧の影響で大和川流域の広い範囲で大雨が降り、奈良県内から下流の堺市までの至る所で堤防決壊、溢水、土石流などの大きな被害が出ました。ここ田原本町の法貴寺では初瀬川の堤防が決壊し、下流域の約900ヘクタール以上が冠水して、町全体で床上浸水432戸、床下浸水620戸、2,751人が被害を受けました。
(出典:奈良県『歴史から学ぶ奈良の災害史』2014,p.152)
そこで、治水対策として複雑に曲がりくねっていた流路が直線化され、その際に築かれた堤防上や旧流路跡が、しみのみちはせがわ展望公園になっています。
下写真が改修前の当該地の様子で、もう一つ下のグーグルの空撮と見比べれば、集落の中でグネっと曲がっていた河道がまっすぐな形に改修された様子がよくわかります。
国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」より 整理番号:CKK793/コース番号:C5/ 写真番号:38/撮影年月日:1979/09/11(昭54) |
まず向かったのは、「ながめの丘」と名付けれた一角。
堤防上の小高くなったところに、記事の冒頭にも掲載した楼閣風の展望台が建っています。
展望台は田原本町にある、日本を代表する弥生集落遺跡である唐古・鍵遺跡に復元されている楼閣に触発されたデザインだろうと思うのですが、遺跡にあるのは四本柱の四角形建物、展望台は六本柱の六角形建物なので、弥生時代よりもう少し後の時代風デザインだと言えます。
唐古・鍵遺跡の復元楼閣 |
展望台からの眺め。南の方(上写真)には三輪山、巻向山など大和青垣の山々を望みます。
この展望台の足元にある滑り台が、やや楼閣風に見えてしまうのは、さすがに思い込みでしょう。
そこから南(上流側)に進むと、廃川になった旧河道部分が「みちくさ広場」と名付けられ、遊歩道沿いに子供向けの遊び場がいくつか連続するような整備がされています。
奈良という土地柄のせいで、上の写真に写っている石造物、下写真のスツールとも、円形に並べられたものを見ると、古代遺跡を見ているような感覚にとらわれてしまいます。
遊具に関しては古代っぽさはない、現代的な複合遊具が採用されています。
ブラジルの奈良県人会から贈られたという石を使った水害の記念碑もありました。
下写真の付近で遊歩道は東に折れて、現河道の方へと向かいます。
河道沿いに公園は続くのですが、私が訪ねたのはここまでです。
この日のゴールは、川沿いに鎮座する池神社。
まだまだ南の方に続くので、また晴れた日にでも全体を通して歩いてみたい、しきのみちはせがわ展望公園でした。
(2017年5月訪問)
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