この地は、平安時代に摂関家へ柑橘類を献納した橘御園(たちばなのみその)との関わりが深いとされていますが、橘御園自体はこの付近を南とし、北の伊丹市、川西市から東は池田市、西は宝塚市の山本付近までの広い範囲に、他の荘園と入り組みながら散在する荘園だったそうです(田中文英『Web版図説尼崎の歴史 「猪名の笹原」と橘御園』)。
そんな立花駅から少し南東に離れたところに尼崎市役所があり、その隣に橘公園があります。
全体を俯瞰すると、野球場が大半を占め、その周りの余ったところに小さな園地や遊具広場があるという構造です。
市役所に近いところが公園全体のエントランスになっており、噴水池や流れが作られていますが、私が訪れた時は全部止まっていました。
遊具広場は、クスノキなどの木立の中に、ブランコ、滑り台、砂場などがある小ぢんまりとしたものです。
目を引くものといえば、このタヌキくらいでしょうか。
尼崎は市域全体が都市化していますが、市の東部を流れる猪名川の河川敷にはタヌキが住んでいるようです。
市役所のお隣ということもあって、本ブログで言うところの中央公園(その町に関わるさまざまな時代の記念碑が集まっている公園)となっている様子も見て取れました。
これは地元のライオンズクラブが寄付した花時計。
これは阪神・淡路大震災の鎮魂碑。震災から15年が経った2010年に地元のライオンズクラブによって建てられました。
かまくらの形を模しているようなのですが、中でロウソクを燃やすと碑文に煤が付いてしまうのが悩みどころです。
こちらは、ドイツ・バイエルン州にあるアウグスブルグ市との姉妹都市を記念した石碑。
Wikipediaによれば、尼崎に工場があるヤンマーの創業者・山岡孫吉が、アウグスブルグ市に拠点を置いていたルドルフ・ディーゼル(ディーゼルエンジンの発明者)と関わりがあったことで、山岡の仲立ちで両市は姉妹都市になったそうです。
これは尼崎に縁の歌人・頴田島一二郎の碑。
●現地の碑文より「歌人 頴田島一二郎(えたじま いちじろう)」
本名、内田虎之助。明治24年4月東京に生まる。昭和10年の中央公論新人賞受賞を機に作家として活躍。昭和25年6月より尼崎市東七松町1丁目3-27に居住。短歌雑誌「ポトナム」の編集に携わり、自著集を発表するとともに広く後進を指導、地域文化の向上に尽くした。その功により、尼崎市民芸術賞、大阪市市民文化功労者表彰、大阪府文化芸術功労者表彰、兵庫県文化賞などのほか、政府より藍綬褒章を受けた。
昭和59年晩秋 ポトナム短歌会建之
野球場がメインなので、記事にするのが難しい橘公園でした。
(2017年3月訪問)
【2018年7月追記】
今年も夏になり、先の戦争関係の話題を多く見かける季節になったのですが、尼崎市のお隣・西宮市の郷土資料館で、「橘公園のライオンが載っている台座は、戦時中の高射砲の跡だ」という記事を見かけました。
そう言われてみればそのように見えますし、他の土地で見かける高射砲跡は台座の周りに土盛りしているところも多いので、花時計そのものが土盛り跡を利用しているようにも見えてきます。
そう言われてみれば、でいうと、水が流れなくなっていた水路の奥にある円筒状のものも、同じく高射砲跡だそうです。
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