資料によっては「第5号行徳緑地」と書かれているものもあって、番号が付いているのは鳥取市の都市計画に定められた都市計画緑地だからではないかと思います。
名前は緑地ですが、施設は広場、遊具、東屋、駐車場などが揃っており、あまり緑地っぽくはありません。
周囲は建て込んだ住宅地で幅2メートルほどの細い道路が多いのですが、この公園の前だけ道路が拡幅されており、その道路を挟んで敷地が南が行徳緑地、北には行徳苑という市立の貸し館施設があります。
園内は、東屋周りの園地、芝生広場、遊具広場の3つに大別されます。
東屋の周りは小高く盛土がされており、なんとなくですが周囲を見渡すことができます。
冬の山陰らしい、みぞれ混じりの雪が降ったり止んだりする日に訪れたので、六角形の東屋で少し休憩させてもらいました。
そこから奥へと進むと、芝生広場があり、さらに奥が遊具広場になっています。
遊具広場は、一番奥まった位置にギュッと詰め込んだような形で、滑り台、ブランコ、鉄棒、揺れる動物などが置かれています。
滑り台はデッキを支える柱がラダー遊具も兼ねており、複合遊具の元祖みたいな姿のものです。
このコンクリート製の遊び台も、、鳥取市内ではよく見かける遊具です。
囲まれた内側は砂場だろうと思うのですが、雪が積もっていてよくわかりませんでした。
揺れる動物は、まぁ普通ですね。この公園の中では新顔のように思います。
そして、こちらが道路を挟んで北側に隣接する行徳苑。
形の上では市立の貸し館施設になっていますが、どちらかと言えば建物保存が主たる目的で、置いといても仕方がないから貸しているタイプの施設だと見て取れます。
建物自体に「行徳苑」という看板が掲げられていますが、いちおう庭や前庭もあって、敷地全体で「苑」の体をなしています。
建物は明治時代に鳥取刑務所の所長官舎として建てられたものだということです。
解説板に書かれている保存・公開の年代から見ると、こちらの行徳苑の方が古く、後からその正面の土地が行徳緑地として開かれた模様です。
●現地の解説板より「行徳苑由来」
この建物は、明治42年に鳥取刑務所々長官舎として建築されたものですが、当時浸水地帯であるため高床式工法を採用し、土台は切石を積み上げ、また、玄関の庇等もその当時のモダン様式となっているとともに建物構造も堅牢であります。
そのため、大正7年及び昭和9年の大水害、また昭和18年9月の鳥取大震災等を免れた、歴史上、また美術上稀少価値の高い木造建築物であります。
このようなことから、市民及び文化団体等の方々から是非とも保存して欲しいとの要望を受け、大蔵省中国財務局鳥取財務部、現在鳥取財務事務所のご協力を得て、昭和57年10月補修に着手、同年12月市民の憩の場”行徳苑”として完成させ、市民の方々に広く開放しているものです。
(2017年2月訪問)
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