もともとは1924年(大正13年)に皇太子、後の昭和天皇のご成婚記念として開かれた古い公園で、当時は野外音楽堂を持つモダンなデザインだったようです。その後、戦争やら改修やらで幾度か姿を変え、私が知っている最終形は今から5~6年前、敷地の真ん中に大きな噴水跡とモニュメントがあり、道沿いには花壇があって、周囲からのシンボル性は高いものの、それほど気になる公園ではありませんでした。
そこが下水道工事の関係でしばらく閉鎖された後、2016年(平成28年)民間のレストランを中心に置いた、新しいタイプの公園として生れ変りました。
高い場所から見下さないことには敷地全体の状態がよくわかないと思いますが、三角の敷地の1/3くらいを使って2階建てのレストランが建てられています。
都市公園では敷地に対して建てられる建築面積の割合が決まっており、通常であればこの割合でレストランなんか建てられないのですが、ここの場合は色々と特例とか荒業とかを使って認めることとし、市が積極的に働きかけてレストランを募集したような形で物事が進められました。
ちなみに荒業の一つは、川の対岸にある元・西中洲公園という別の公園を水上公園に編入し、「水上公園の全体面積を増やすことで、許可できる建物の面積も大きくする」という手法です。
「それはウマいこと考えた!」と思うか、「セコい手を考えがって!」と思うかは人によって異なると思います。
が、元・西中洲公園というのも下写真のようにビルと川の間の狭い遊歩道みたいな場所でしたので、遠からず改良が必要だと思えば、水上公園と一体のものにしておいても損はなかったかと思います。
レストランは2階建て+屋上が開放されており、1階に「世界一の朝食」を売り物にしているというレストラン、2階はミシュランガイドで星をもらったという中華料理屋が入っています。
私が訪れたのは前の晩から雨が降り続いた休日の朝だったのですが、けっこうな人数がレストランに並んでいました。
レストランには入らずに、屋上に上がると、ここが展望広場風に開放されています。
これも大きな建物を公園に建てようとする時の技の一つで、「屋上が開放されていることで、ちょっと段々になってはいますが、公園として誰でも入れる場所の面積は確保できていますよ」という論理になります。
晴れていればお弁当を食べたり本を読んだり、自由に過ごすことができる場所になると思いますが、訪れた時は生憎の雨。施設の売り物を良い形で紹介できないのは残念です。
屋上から公園の入口方向を見下ろしたところ。
なんだかよくわからないけれどグニャグニャしたデザインです。
交通量の多い道路との境界が何もないので、あまり落ち着いて休むことはできない雰囲気です。
どちらかと言えば人が行き交う広場のような作りをイメージしているのかも知れませんが、見たままに言えば、少しクセのある店舗外構といった感じです。
この一角のパブリックアート作品だけが、私が知っている数年前の水上公園からの生き残りとなります。
まだできて一年ほど。
色々と新しいチャレンジを盛り込んでいるだけに、これからどうなっていくのかを見守りたい水上公園でした。
(2016年11月訪問)
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