御霊(ごりょう)公園は、福知山城下町の北西にある御霊神社の隣接地を公園としたものです。御霊神社にはかつての福知山城主・明智光秀が祀られており、地元の参拝者や観光客の利用も多いはずの公園です。
しかし私が訪れたのは、市街地にもたっぷりと雪が積もった日でした。
晴れてはいるものの、公園の広場はこのとおり一面の雪と足跡です。
少し角度を変えてもこのとおり。仕方がないので、見たものを見たままに。
下写真で中央に写っているのが、御霊公園名物のからくり時計です。
園内にいるときに12時になり、からくり人形が飛び出して踊り始めたので慌てて同じ場所からiPhoneのカメラで目一杯ズーム撮影したのが下の写真。
肉眼ではよく見えませんでしたが、福知山の夏祭りで見られる「ドッコイセ踊り」の人形だということが、なんとか確認できます。
雪原となった広場を避けて近づいた頃には、人形たちはみんな引っ込んだ後でした。
肝心なところが影になって真っ黒の写真ですが、ドッコイセ踊りの石像もありました。
お祭りの時には、この公園・神社付近のあたりが何かと中心になるようです。
一方、園内の南の一角には遊具広場もあります。
こちらの方が陽あたりが良いのか、あるいは雪が降っても遊びに来た子供がいたのか、広場と比べるとずいぶん雪が溶けていました。
遊具は、複合遊具が大小2基、ブランコも普通のものと幼児向け2基、ベテランの石の山遊具、ジャングルジム、雲梯、鉄棒などが揃っています。
大きい方の複合遊具には鬼の顔が付いており、鬼の口からベロ~んと突き出された舌の上を滑り降りてくるというものです。
平成の大合併で2006年(平成18年)に福知山市に編入された旧・大江町は、大江山の鬼・酒呑童子伝説で知られた町で、酒呑童子をそのまま町のイメージキャラクターにしていたのですが、合併に伴ってそれが福知山市に合流してきたようです。
一方、小さい方の複合遊具は滑り台に雲梯が組み合わさった標準的なもの。
ブランコは、通常のものが2連なのに対して、背もたれの付いた幼児向けは3連で、幼児向けの方が充実しています。
ジャングルジムは円形の3段積みで、各段の余裕幅が大きいので転落しても一気に地面にまで落っこちることが少ない安全タイプのものです。
なんとなく灯台のようにも見えるので、個人的に灯台タイプと呼んでいます。
コンクリート製の石の山遊具は、コンパクトなボディに滑り台が2本、トンネル、ガケ登りを巧みに組み合わせています。
こちらが小滑り台の面。
こちらは大滑り台。どちらもガケ登りを伝ってこないと滑り出し部に到達できないので、若干難易度が高めなところがチャレンジ心を掻き立てられます。
こうして見ると、改めて昔の遊具は存在感があるなぁと思います。
雪が積もれば雪山になることで、また新しい遊び方が見えてきます。
ところで、御霊神社の境内には、堤防を祭神とする「堤防神社」があります。もともと由良川の大堤防(岩沢堤)の完成を機に1931年(昭和6年)から水禍安全を祈る「堤防まつり」が始まり、それの拠り所として1984年(昭和59年)に現在の堤防神社の社殿が建てられたそうです。
その後、この記念碑のように1953年(昭和28年)にも2階まで水に浸かるような洪水、その後も1970年台までは1,000戸以上の家屋が浸水する洪水がしばしば発生していますが、社殿が建てられた1980年代以降は数戸~数十戸までの被害に収まるようになっていますので、堤防の神様の力が及ぶようになったと言うべきか。
(2017年2月訪問)
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