石田衣良の小説でテレビドラマにもなった『池袋ウエストゲートパーク』で有名ですが、ブログ作者は小説・ドラマとも未見のため、本当のところどれくらい作中に登場するのかはよく知りません。
そもそも、この駅前の敷地には1909年(明治42年)から1964年(昭和39年)まで、東京府豊島師範学校および同附属小学校があったそうです。園内には、その記念碑がありました。
この石碑の解説や、その他いくつかの資料や空撮などを見たところでは、制度変更で組織や校名は変わりつつも戦争中も続いていた師範学校が空襲で校舎を消失し、戦後まもなく小金井市に移転(後に他の師範学校と合流して東京学芸大学となる)、この場所に残っていた附属小中学校も1964年に移転。それに先立って、師範学校の焼け跡の一部に建てられていたヤミ市から発展したマーケットの解消を目的とした区画整理も始まっており、1960年代の終わり頃には、おおむね現在のような西口の街路が形作られていたようです。
附属小中学校跡地の一部を使った池袋西口公園自体の開園は1970年(昭和45年)ですが、1990年(平成2年)の東京芸術劇場の開館にあわせて公園全体が大改修を受け、現在の姿になったようです。
さて現在の池袋西口公園ですが、繁華な駅前ということで、自由な空間をできるだけ広くとった広場型の公園になっています。ただ、完全に駅前広場というわけでもなく、ステージやベンチが程よく配置されて、人が滞留できるようになっています。
上写真のステージ前広場の先には、下写真の噴水があるのですが、どちらも同心円状のデザインになっており、これがこの公園の基本デザインになっているようです。
芸術劇場の玄関前も同心円。
また芸術劇場の門前ということで、数多くの野外彫刻が並べられています。
いつもの記事なら面白そうなものを何点か選んで取り上げるところなのですが、訪れたのがポケモンGOが日本でリリースされた直後で、この公園が何かの巣窟になっていたためにすごい人出で、大きめの作品を遠景で撮ることしかできませんでした。
ポケモンGOの人気も落ち着いてきたので、またいつもの風景に戻っているであろう池袋西口公園でした。
(2016年8月訪問)
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