■現地の解説板より「七日市遺跡」
この地域は、はるかむかしの原始・古代より「ひと」や「もの」のほか、「動物も」往来する交通の要衝でした。
日本海(由良川河口)から瀬戸内海(加古川河口)まで、険しい難所の山越えをすることなく平坦に通行できる本州唯一の道で、「氷上回廊」とも呼ばれています。この遺跡の6km南西には本州で最も低い分水嶺(標高95m)である、「水分れ」が存在します。七日市遺跡はこの「氷上回廊」に面し、20万平方メートル以上もの範囲に遺跡が広がっています。旧石器時代(約30,000年前)から平安時代(900年前)までの生活跡が発掘調査によって明らかとなりました。
特に「氷上回廊」の存在が人々の生活に密接となっていた「旧石器時代」、「弥生時代」、「奈良時代」では、遺跡での人々の生活は活発になっていたようです。このように、3万年前にも遡る七日市遺跡周辺の歴史は、そのまま兵庫県や近畿地方の歴史の起源にもなっています。
私たちの祖先が、営々として生活を営み続けたこの遺跡は、時空を超えた3万年間のメッセージとなり、今私たちに語りかけています。地域が共有する貴重な財産として、七日市遺跡を未来に伝えるために、ここに遺跡公園を整備してその顕彰をはかります。
丹波市
遺跡公園と呼んでいますが、実際に遺跡が展示されているのは、この竪穴式住居跡の平面表示くらいです。
ここで面白いのは、少し離れたところにあるアクリル板に描かれた絵を上手に眺めると、想定建物が復元されるという展示手法。
バーチャル・リアリティの一種と呼んでも差し支えないのですが、肝心の絵にリアルさが欠けるのが玉に瑕。
■現地の解説板より「竪穴式住居跡」
この竪穴式住居は、豊岡自動車道建設工事に伴う事前調査(平成5年~10年)で発見された住居跡の1つを模したものです。
弥生時代中期後半(約2,000年前)の隅が丸くなった方形住居跡で、平面の大きさは7.0m×7.2mです。4本柱で茅葺の屋根を支え、中央部には炉と考えられる穴(90cm×74cm、深さ50cm)が見つかっています。
住居の壁際には幅20cmの溝が巡っています。冬は暖かく、夏は涼しくなるように工夫されていたのでしょう。
また、この住居跡からは、当時の弥生人が使っていた土器(壷や高杯)も見つかりました。
竪穴式住居跡の敷地の中に、スツールのようなものが置いてあります。
てっきり建物の柱跡が見つかった場所や大きさを示す阿部定方式の遺構表示だと思ったのですが、竪穴式住居にしては柱が太すぎるとも思ったので近づいてみてみると、
ただの市販品のスツールでした。柱の位置は合っているようですが。
遺跡展示をしている広場の隣には、子供向けの遊具広場もあります。
遊具自体は普通の滑り台などですが、遺跡公園を意識して屋根部分が古代建築風になっています。
休憩所の屋根も同じスタイル。
ほかには池、ステージなどもあって、ドライブ途中に立ち寄るだけではなく、ゆっくりと遊ぶこともできそうな公園になっていました。
(2016年7月訪問)
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