言わずと知れた「本能寺の変」の本能寺ですが、変から5年ほど経って、豊臣秀吉が戦乱で焼け野原になっていた京都市街を再建するにあたって東の方に寺町を造ることとなり、本能寺も現在の京都市役所近くに場所を移して再建されます。
一方、織田信長が宿としていた頃の本能寺があったのが、現在の本能寺町付近で、そこに本能公園があります。
ちなみに、公園から南へ100メートルほど離れたところに「元本能寺町」があり、さらに100メートルほど南には発掘調査に基づく「本能寺跡」の石碑があったりもしますので、公園が本能寺跡というわけではなく、本能寺町にあるから本能公園であるようです(広い寺域の端の方には入っていたかも知れませんが)。
と言うことで、現在の本能公園はとりたてて歴史性を感じさせることはない児童公園仕立ての内容となっています。開園も1999年(平成11年)で、1940年代の公園が多い京都市街地では新しい方の部類です。
でも公園の道向かいにさり気なく建つ齋造酢店は、200年以上の歴史を持つ老舗だそうです。まったく京都ってやつは...
敷地は変形の鍵型をしており、角の部分が広場に、辺の部分は幅広の通路のような仕立てになっています。下写真は、冒頭の出入口からもう少し中に入ったところ。
こちらは、もう一方の辺の部分から広場の方向を見たところ。混み合った市街地の変則の敷地条件の中で、防災や利用の面を考えてなんとか2方向での出入口を確保しようとした苦労の跡がうかがえます。
遊具は2連ブランコと鉄棒、その他施設はパーゴラ、ベンチくらいで、施設内容は地味めです。
周囲は、元々は染め物屋などの多い一角だったようですが、町家建物がマンションに建て替わって来ており、狭い広場を圧迫するように迫っています。
一方で、それによって人口構造に変化が生じて、公園の役割・性格も少し変わってくることに繋がりますので、これからが面白い本能公園でした。
おまけ.
2016年のヒット作・エグスプロージョンの「踊る授業シリーズ 本能寺の変」
(2016年6月訪問)
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