通りには面しておらず、路地を入っていった奥が広くなった敷地。いわゆる「旗竿地」の形になっています。ちなみに入り口の園路沿いが地割れ等で危険な状態になっているのは、平成28年熊本地震の直後に公園を訪れたからです。
上の写真では「ほんとうに公園があるのだろうか...」と不安になりますが、中まで入ってみれば、児童公園としては不足のない広さになっています。
この奥まった敷地は、もともとは廃寺跡だったようで、そこを熊本市第1号の都市公園として整備した旨を記念した碑が公園北側の出入口付近に設置されていました。
●壁に埋め込まれた碑文より「児童公園設立碑文 野田秋水」
本園古往生院は加藤清正公が建立し、400年の歴史を有し既に廃寺となって居たが、大東亜戦後著しく荒廃した為、町より発議し、市議会の協賛を得て町市経費を分擔し、5ヶ年の歳月を経て墓地住宅を整理終了。
昭和32年3月都市公園第1号として発足したもので、今後庶民に愛用され発展することを願うものである。今般恵比須神社鎮座50周年に当り町市協力のもと本聖地全般を改修し、公園並に聖地建設に努力した町役員の氏名を刻し以て記念とする。
昭和48年10月吉日故 八本仁兵衛 野田謙吉 小寺一夫 内田嘉蔵 森本富喜子
園内には、複合遊具、ブランコ、鉄棒、揺れる動物などの遊具があり、市街地では貴重な子供の遊び場になっているようです。
そんな複合遊具の屋根には"PLAY BOOSTER"の文字がありました。
「遊びを増幅させる、もっと面白くさせる」くらいの意味あいなのでしょうか。
そしてもう一つ、奥まった公園でたまに見かける「玄関出たら公園の家」を発見。
混みあった市街地ならではの光景が色々見られる鍛冶屋町公園でした。
(2016年5月訪問)
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