竹早公園は、桜並木で有名な播磨坂と春日通(国道254号)との交差点から一筋中に入ったところにある公園です。が、いつものように季節外れに訪れたので、花の写真はありません。
公園名の「竹早(たけはや)」は、明治2年~昭和41年(1869~1966)までの町名から採られていますが、現在は町名変更によって小石川5丁目になっています。
この「竹早」については、現地近くに文京区の設置した旧町名案内板があったので知ることができました。
江戸時代、この付近は「箪笥町」という町名でした。箪笥というと今は衣装入れのことですが、江戸幕府の役職としては武器や具足を扱う奉行が箪笥奉行で、その奉行屋敷があったそうです。
で、明治になって新町名になる時に「箪」の字を上下に分解して「竹早」を名乗ったということが紹介されていたのですが、「それなら『竹単』になるんじゃないの?」という疑問には答えてくれません。
まぁ江戸っ子の言葉遊びみたいなものなので、あまり突っ込んでも仕方がないのでしょうが。
本ブログでいつも参考にしている日文研の古地図データベースで、幕末1857年(安政4年)の『東都小石川繪圖』を見ると、「小石川御箪笥町」と記載がありました。
日文研所蔵地図データベースより |
●旧町名案内板より「旧 竹早町(たけはやちょう)」
(昭和41年までの町名)
もと、小石川村の内であった。寛永年中(1624~44)幕府箪笥玉薬同心(たんすたまやくどうしん;武具弾薬を取扱う幕府の役人)の屋敷となり、後に町屋が設けられて箪笥町と称した。
明治2年、同心町の一部、鷹匠町、安房殿町を併せて竹早町とした。同五年、智光寺門前、光岳寺門前、宮下町飛地などと武家地を併せた。
町名の由来は、旧町名の一つ箪笥町の箪の字を分解して上下に分けて、竹早のよい名としたといわれる。また、昔は竹の多い土地であったからともいわれる。(文京区 旧町名案内)
さて現在の竹早公園ですが、敷地のうちの広い範囲をテニスコートが占めています。
上写真にある全天候型のテニスコートのほかに、やたらと縦長のスペースもあります。壁打ち練習用の特殊なコートなのでしょうか。
隣接する小石川図書館に近いところには、木立の広場があります。
陽気がよい季節には、ベンチに腰掛けて読書が楽しめそうです。
この広場とはテニスコートを挟んで反対側に石の山滑り台を持つ遊具広場があるのですが、撮影した写真がピンボケになっていたので省略。
いつかまた近くを通ることがあれば、記事を追加しなければならない竹早公園でした。
(2016年1月訪問)
ここのテニスコートでよくテニスをしていた通りすがりのものですが、箪は、竹 西 早からできているからでは。
返信削除匿名さま
返信削除こんにちは、ブログ作者です。コメントありがとうございます。
さて、この記事を書いた時には、現地にある「旧町名案内板」の内容を優先してまとめたのですが、その後、朝日新聞の記事で、こんなものを見つけています。
じつはかつての江戸市中には、ここと同じように「箪笥町」を名乗った地区がいくつかあって、それらについて調べた記事です。
>http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/moji/2012043000004.html
この記事によれば、現在の港区にあった「麻布御簞笥町」について記録した絵図では、「箪」の代わりに「竹かんむり+早」という字が使われている例があるそうです。
今のように、政府(文部省)が漢字を統一する時代ではなかったので、「箪」にも色々な字体があったのかな、と理解しています。
今後とも、拙ブログをどうぞよろしくお願いいたします。