沖縄県宮古島の宮古空港に行くたびに、ターミナル前の駐車場と県道とに挟まれた細長い公園のような空間が気になっていました。
この度、少し時間があってそこに立ち寄ってみると、思いがけず歴史を秘めた場所だったので記録します。
新聞報道などの資料で見ると「宮古空港ロードパーク」という県施設のようなのですが、実際のところ、どこまでがロードパークなのかはよくわかりません。
件の歴史は、この穴底みたいなところに隠れています。
この先の尖った石が、「旧七原(ななばり)部落の霊石」です。
周囲からは2メートル以上低い位置にありますが、もともとが掘り込み井戸のように低い場所だったのか、飛行場をつくるときに周囲が高く造成されたのか、詳しいことはわかりません。
現地の解説板より「旧七原部落の霊石」
石垣囲いの中に立っている石は、旧七原部落の根石として、地元の人々から崇拝され、霊石とされています。この地には昭和18年まで、旧七原部落がありました。
旧七原部落は、18世紀初頭に久松部落等の人々によって村立てが行われましたが、当時この石を中心にして集落が形成されたといわれています。また反対側には、旧七原部落の拝所である「山うり御嶽」があり、今でも霊石とともに大事にされています。
旧七原部落は昭和18年、当時の軍令によって海軍飛行場用地に接収されたため、部落の人々は移住を余儀なくされました。しかし人々は、移住後も「霊石」と「山うり御嶽」を父祖伝来の地として、心の拠り所にしています。
解説板にある「反対側の『山うり御嶽』」の横には接収前の集落の様子を描いた地図がありましたが、この地図には霊石・根石らしきものは描かれていません。
ただ、地図の中心あたりに「井戸」が描かれており、解説板の「(根石を)中心にして集落が形成された」という記述と合致するようにも思います。
現地の復元地図より「旧七原の午の端(ウマノパ)里」
戦争も末期の昭和18年、七原部落は軍の命令により、海軍飛行場として強制的に接収された。
集落(スマ)人たちは土地を追われて四方八方へ散って行った。村立て300年の歴史に別れを告げたけど、ただ一つ心の拠り所として残り、救われているのが根神(祖霊)を祭る午の端里の現在の御嶽である。
生まれ里の御嶽は、今や宮古の空の玄関に鎮座し、村落人のみならず、皆の安全飛行を祈願する神域となった。トートゥ・ガー・トートゥ
その御嶽の方は、周囲が芝生とマツで園地風に仕立てられている中、ガジュマルなどの樹木を残して、神域としての姿をなんとか残しています。
もともとの集落に住んだ経験のある人はだんだん少なくなって行くのでしょうが、できる限り大切に守っていただきたいところです。
(2015年11月訪問)
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