区境は、昭和の中頃までは「西横堀川」という堀川だったのですが、そこから分流して西へ流れていたのが京町堀です。もうどちらの堀割も埋め立てられて跡形もありませんが、その分かれだった付近に、わずかばかりに名残をとどめるのがこの公園ということになります。
下の写真で、高架道路になっているところが西横堀川の跡、手前の小さな広がりが京町堀公園です。
園内の道路沿いには「京町堀 川跡」の碑があります。
●碑文より
元和3年(1617)京都伏見京町から移住してきた町人らによって掘られた川で、西横堀川から分流し長さ1,080メートル、幅30メートルあり、百間堀川に通じ、物資の運搬に利用されたが、昭和36年(1961)に防潮堤工事などのために埋め立てられた。
敷地は元・橋詰の細長い形状をしていますが、石垣や景石を配置して、なんとなく歴史を感じさせるデザインになっています。
どこからか移設されたと思われる皇紀2600年記念の掲揚台も歴史を感じさせるアイテムですが、この時は掲示板として使われていました。「公園を美しく」と呼びかけることを取るべきか、アイテムの存在感を取るべきか。
利用者は、おおむね近くで働く喫煙者の皆さんと思われ、入れ代わり立ち代わり、石のベンチに座って一服をしておられました。そのわずかな隙をついて、写真撮影。
しかしそれだけに、このパンダの遊具の存在感が際立っていました。
この条件下で、なぜパンダ?
(2015年10月訪問)
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