No.1139で登場した尼崎市杭瀬の西隣にあたる長洲(ながす)地域は、古代の尼崎ではもっとも早く形成されて陸地化が進んだ砂州だそうで、平安時代にはすでに東大寺の荘園(長洲荘)が設けられていたそうです。
その頃の長洲がどのあたりまでだったのかは正確に知りませんが、現在の市立長洲小学校の東隣にあるのが長洲公園です。
公園北側の出入口には、尼崎市ではお馴染みのいつもの童子像。
そして東端の道沿いには、「ふれあい」の像があり、園内でもとくに「ふれあい広場」と命名されています。
もっとも、全体的には、かつての川筋の形状に引っ張られた三角形状の敷地の中央に大きくスペースを取り、外周にクスノキ、ケヤキなどの高木を多く植えた広場型の公園なので、どこまでがふれあい広場なのかはよくわかりません。
もしかすると、全体一括で「ふれあい広場長洲公園」ということなのかも知れません。
大きな広場を見守るパーゴラも大きめです。
もっとも、広場だけではなく遊具もたくさんあって、南側の林の下に大型の木製複合遊具のほか、富士山型の滑り台、ブランコ、大きな砂場などがあります。
木製遊具は、丸太登りや雲梯、滑り台、吊りタイヤなどを組み合わせた大きなもので、アスレチック風の遊びが楽しめます。
ただ元々が川筋に近い場所だということと、大きく育ったクスノキの下で日陰になりがちなところに設置されていることとで、なんとなく湿っぽく感じてしまいましたので、破損を防ぐためには日々の点検が欠かせないと感じました。
(2015年10月訪問)
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