石垣市街地の海岸沿い、国道390号バイパスよりも南側は、昭和の終わり頃に埋め立てられてできた町です。そのうちの八島町の一角、与那国島へ行くフェリー埠頭の横手にあるのが八島緑地公園です。
そうした立地の公園は、市民の日常生活からはやや離れたものとなるため、利用者は少ないと思われます。そのため施設は非常に簡便で、公園面積からすると無闇に幅広な園路で、敷地中央にある盛土上の休憩所に上っていくことしかできません。
犬の散歩くらいには丁度よいかも知れませんが、それほど楽しくはないでしょう。
と言った感じで公園全体を見れば特徴が少ないのですが、それだけに敷地の一角にある「古賀辰四郎 尖閣列島開拓記念碑」が目立ちます。
記念碑の頂上に飾られているのは、尖閣諸島で最大の島・魚釣島でしょうか。自然の島の形を、石を削って上手につくってあります。
碑文の方は、直接的に領土問題に言及するのではなく、あくまで古賀辰四郎という人物の功績を称える内容になっています。この点は、1995年(平成7年)の建立ということもあって今とは尖閣諸島を取り巻く状況の深刻さが違っていたからかも知れませんし、財団法人古賀協会としての考え方が反映されているのかも知れません。
■古賀辰四郎尖閣列島開拓記念碑
古賀辰四郎は福岡県の人。廃藩置県の明治12年来県、同年那覇で古賀商店を、15年石垣島大川村海岸近くに八重山支店を開設した。
明治29年、日本政府の許可を得て尖閣列島魚釣島、南小島、北小島、久場島で海陸物産の開拓に心血を注ぎ、生産物資は外国にも輸出、国、県の経済、社会に大きく貢献。明治42年藍綬褒章を授与された。
子息善次は昭和7年右四島を国より払下げを受け、その没後は妻花子がこれを管理した。
戦後古賀家の遺産は遺言により埼玉県の実業家栗原國起がこれを継承、財団法人古賀協会を創立、沖縄県のスポーツ振興面に貢献しつつある。絶海の無人島に私財を投じ、父子二代の生涯をかけた開拓事業であった。
この度先覚者の偉業を記念するため支店旧地に近いこの地にこの碑を建立した。
平成7年12月 財団法人古賀協会 会長 栗原佐代子 碑文並に揮毫 牧野 清
(2015年8月訪問)
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