公園面積は2.9ヘクタールあり、大きな芝生の広場と屋根付きのステージを備えていて色々なイベントなども開催できる構成になっています。
もっとも石垣市街地には、車で5分ほどの範囲に新栄公園(2ヘクタール)、中央運動公園(18.3ヘクタール)などもあるので、イベント会場には事欠きません。
ステージはかなり大きく、ざっくり20×10メートルくらいの舞台に、3階建て相当くらいの屋根が架かっています。
ちょうど下で若者が集まっていたので比較のために写真に入ってもらいましたが、10人以上がいるのにこんな感じで、雨の日の遊び場と言っても良いくらいの大きさです。
ステージ前のメイン広場は一面の芝生ですが、雨上がりで所々にキノコが生えていました。
このステージの裏手・横手の方に、遊具広場、テニスコート、バスケットコートなどがあります。
遊具広場の愛称は「こっこまーひろば」と言います。ウェブで検索すると、こっこまー(こっこーま)は、「(抱きしめてやりたいような)愛しい子」という意味だそうです。
どうでも良いのですが、この注意書きはたぶん全国共通の文言なのでしょうが、石垣島の子供たちがマフラーをしたまま遊ぶことはあるのでしょうか。
そんな「こっこまーひろば」には、なんとなく海を思わせる複合遊具、ロープピラミッド、ユニバーサルデザインの滑り台などがあります。
複合遊具の滑り台部分に吸盤のような模様が付いていて、屋根の三角形とあわせると何となくイカっぽいのです。
ロープピラミッドなどは遊んでいる子供がいたので、写真も遠巻きで。
そして、公園の一角には石垣島と岩手県との交流を記す記念碑が。農業分野での交流を契機に、その後も交流に尽力したとの旨が刻まれています。
ここに来てみなければ知ることもなかったであろう事実を教えてくれる、そういう役割をしっかりと果たしている真栄里公園でした。
■岩手・沖縄かけはし
平成5年、岩手県の水稲作況指数は僅か『30』という未曽有の大冷害に襲われました。このため、岩手では翌年度の種籾の確保が困難になりました。
そこで、当時開発中のオリジナル品種『かけはし』を石垣島で栽培し、収穫したお米を種籾として使う緊急増殖事業が計画されたのです。幸い、この事業は、石垣島の農家の皆さんをはじめ、沖縄県や石垣市などの関係する方々の暖かいご協力により、見事に成功いたしました。
その間現地に常駐し、『かけはし』の栽培指導に当ったのが菅原邦典君でした。事業の成功の陰には、菅原夫妻の遠隔の地での並大抵でない苦労があったのです。その努力が現在もかけはし交流となって、岩手と沖縄の交流に実を結んでいます。
私達は15年を経た今、両県の交流が末永く続くことを願い、さらに平成20年6月に他界した菅原君の功績を後世に伝えるため、この記念碑を建立し、かけはし交流の証とします。
岩手・沖縄かけはし交流会会長 高橋 洋介 石垣支部長 大濱長照
■高橋洋介
岩手と石垣島の交流は今年20年の節目を迎えました。
交流のきっかけとなった平成5年、岩手が大冷害に襲われた際に石垣島において種籾増殖事業の指揮を執ったのが当時、岩手県農政部長の高橋洋介さんでした。盛岡農業改良普及所の菅原邦典上席普及員を石垣島に派遣し事業を成功に導きました。新品種は「かけはし」「ゆめさんさ」と名付けられ、岩手と石垣の交流の象徴となりました。
岩手・沖縄かけはし交流は、今や沖縄県の農業技術向上をはじめ石垣島マラソンや高橋さんの古里の北上マラソン、岩手県立盛岡第四高校と沖縄県立八重山高校の姉妹校提携等、幅広い民間交流に結実しています。
平成23年3月11日の東日本大震災は三陸沿岸に未曽有の被害をもたらしました。沖縄・石垣島の方々には物心両面にわたって多大な支援を頂きました。高橋さんは感謝の意を示しながら同年8月9日に他界しました。
岩手と石垣島の交流発展に尽力した高橋洋介さんの功績をしのび、ここに顕彰碑を建立します。
平成25年1月26日岩手・石垣 高橋洋介顕彰碑建立期成会
(2015年8月訪問)
0 件のコメント:
コメントを投稿