ここは中世の伊予守護から戦国大名となった河野氏の居城であった湯築城の跡地にあたるのですが、江戸時代以降は廃城になっていたので、もともとは「温泉街に近くて眺めの良い丘」として公園化が図られたのだろうと思います。
ところが、公園内にあった動物園が郊外に移転するために1987年(昭和62年)に廃止され、その跡の発掘調査によって河野氏時代の遺構・遺物が多数見つかり、2002年(平成14年)に「湯築城跡」として国史跡の指定を受けるとともに、武家屋敷などを復元した公園として生まれ変わりました(ただし部分的に)。
ですので、今は温泉街を見下ろす昔ながらの公園と、史跡公園とが同居する構造になっています。
まずは、公園南側の史跡が復元されているゾーンから。
ゾーンの入り口には「湯築城資料館」があり、ここで史跡の概要を知ることができます。
復元されているゾーンは、城跡の中でも2つの堀・土塁とに挟まれて家臣団や上級武士が暮らしていたゾーンにあたるそうです。
家臣団の居住区は、武家屋敷が立体復元されており、その中も展示施設になっています。
こちらは屋敷内の模様。
連歌師を上座に招いて、武士や僧侶が連歌会を開いているようです。
中には、人の歌を聞かずにスマホをいじっている風の人もいます。
建物のほかにも、土塁や塀、水路なども部分的に再現されています。
一方、上級武士の居住区には建物復元はなく、庭園の一部復元や遺構の出土状態展示、土塁の断ち割り展示などがおこなわれています。
居住区から城の中心であった丘の方を見ると、内堀の向こう側の露出した岩の隙間に小さな松が生えており、庭園の一部のようになっています。
なんとなく、栗林公園の桶樋滝を思い出す情景です(滝はありませんが)。
続いて、古くからの公園のゾーン。
まず温泉街に一番近い公園西側のゾーンですが、ここは内堀を活かして日本庭園風に仕立てられているため、史跡ゾーンと並べてもあまり違和感はありません。
その中でひときわ目立つ大きな石碑は、明治時代の初代・道後湯之町町長であった伊佐庭如矢(いさにわ ゆきや)の頌徳碑。
伊佐庭は、町長として現在も残る道後温泉本館の建て替え、道後鉄道(現在の伊予鉄道)の設立、道後公園の整備などを手がけ、道後温泉の観光地化を進めた人物です。
頌徳碑の横の方から林の中のつづら折りの道を登って、頂上まで行くことができます。中世の城時代には、この丘の上にも中心的な曲輪や建物があったのでしょうが、今はそれを偲ばせるものは特にありません。
代わりというわけでもありませんが、頂上には大きな展望台が。
展望台のてっぺんからは、2キロほど東にある松山城の大天守が見えました。
丘を東に下りると、そこは遊具広場です。
城跡・史跡だということに配慮してのことでしょう、モノトーンにまとめられた遊具が並びます。
土塁跡と思われる地形の高低差を活かした滑り台、複合遊具、ブランコ、揺れる動物などがあります。
こちらは遊具広場の横手にありますが、鉄棒ではなくサイクルスタンド。
やっぱり間違える子供が多いのか、わざわざ「てつぼうではありません」と書いてありました。
だったら、もう少し置き場所を考えれば良いのに(笑)
●日本の歴史公園100選
●愛媛県による公園ホームページ
(2015年7月訪問)
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