こちらは資料によれば戦災復興区画整理事業で整備され、開園は1955年(昭和30年)で、No.1029の新宿公園と同時に開園した模様です。
ただし、現在のような公園の姿になったのは、隣接地にあった旧・四谷第七小学校が統廃合によって花園小学校として生まれ変わった1997年(平成9年)のことで、この際に公園も大幅な改修をおこなっています。
その改修の目玉が、この公園最大の特徴である「一体広場」で、公園の広場と学校の校庭が時間帯によって使い分けられるというです。この広場は、学校や幼稚園が開いている平日の昼間は校庭(園庭)として児童生徒専用になり、それ以外の時間だけ公園として誰もが使うことができます。
これまでにも校庭と公園とが一体的に整備され、学校側の必要に応じて公園を使うという例は何度も登場してきましたが、多くの場合は間に柵や門があって「ここまで公園、ここから校庭」という境界線があったのに対して、一体化した敷地を時間帯でシェアする例はNo.130の久松児童公園以来ではないかと思います。
もっとも、行政の取り扱いの上では公園敷地と学校敷地はちゃんと区分されており、広場の半分ほどで分割されていることになっています。
「新宿区みんなのGIS」よりキャプチャして引用 http://www.sonicweb-asp.jp/shinjuku/ |
敷地の大半を一体広場が占めているため、一般利用が可能なのは外周部の園路沿い、ベンチや植栽マスに座って休憩するくらいの使い方になります。
もっとも、常時出入りができる公園部分や、
幼稚園の前にある「ちびっこ広場」にも遊具があり、幼稚園・小学校に通っていない子供でも遊べるようになっています。
でも上のGISの図を見ると、「ちびっこ広場」は公園の区域ではないようですね。
ほかにも、車道から歩道へと上がるところにバイクの侵入防止ゲートがあるのを見ると、この歩道に見えるところは実は公園敷地ではないかと思われます。
また、歩道上に設けられたように見える自転車置き場も、じつは公園敷地にある公園利用者向け施設という位置づけなのではないでしょうか。
公園敷地が、ある時は学校に、ある時は道路になりながらも、混みあった市街地で有効に使われている花園公園でした。
■現地の案内板より「一体広場の利用について」
公園の中央にある大きな広場は、公園の広場と小学校の校庭を一体的に整備した「一体広場」です。この広場の利用にあたっては、花園小学校・花園幼稚園の児童、幼児が利用する時間帯と団体または一般の方々が利用できる時間帯が区分されています。小学校、幼稚園及び団体の利用時間帯は、原則として一般の方々の利用はできません。十分趣旨をご理解の上、利用くださるようお願いします。
(2015年5月訪問)
【2016年3月追記】
『新編 緑の基本計画ハンドブック』(H19,日本公園緑地協会発行)を見ていたら、花園公園の整備前後の図が掲載されていたので、少し印刷が悪いのですが引用。
もともとは学校と公園との間には区道が通っていたのですが、これを廃止して一繋がりの公園・校庭になったようです。
上記『新編 緑の基本計画ハンドブック』より引用し、 文字を貼り直し |
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