この公園は、大きくは草敷きの多目的広場と遊具広場とに二分されています。
まずは多目的広場側。細長い公園敷地の東半分を占めており、取り立てて特徴はありません。
続いて遊具広場。
資料によれば以前は中型の木製複合遊具があったようなのですが、ちょうど訪れた時には全面的な入れ替え改修のまっ最中で、今風のコンビネーション遊具を設置しているところでした。
同じ区画整理地内にあるNo.946 わかたけ公園では、同じような木製複合遊具が使用禁止になっていましたが、こちらは1986年(昭和61年)開園、No.946は1989年(平成元年)開園なので、こちらの方が先に老朽化し、先に更新されているのでしょう。
工事中のところでパシャパシャと写真を撮るのも業者さんに気兼ねするのと、ちょうどホームレス風の男性が東屋で寝ていて、それが写り込むのも憚られたので、公園のメイン入口にあるモニュメントを紹介してお茶を濁します。
メイン入口に向かって右側には、区画整理の記念碑があります。
自然石をいくつも組み合わせた大きなもので、かなりの存在感があります。
ちなみに記念碑の左に写りこんでいる樹がイスノキだと思います。赤い花が咲くので、その時期ならはっきりと見分けられるのですが、冬だとあまり自信がありません。
本地区は、第2次世界大戦前は、戸数100戸以下で構成する宜野湾村字真志喜の純農村地域であった。しかしながら、戦後直ちに米軍に接収され、キャンプマーシーとして約30年間米軍に使用されていたが、昭和51年3月31日地主に返還された。
関係地主は同地区の早期有効利用を図るべく、直ちに地主会を結成して宜野湾市当局と調整を重ね、同市施行による土地区画整理事業を実施することに決定した。なお軍用地返還に伴い、防衛施設庁から関係地主に交付された復元補償費等の一部が、全地主の好意ある申し出により地主会の管理運営費に充当された。
同士は、当地主会と緊密な連携のもと昭和56年事業に着手し、平成4年12月、施行面積47ヘクタール、総事業費35億6200万円で事業を完成した。
ここに本事業の完成を記念して碑を建立する。
平成8年1月吉日 真志喜地区土地区画整理事業促進地主会
(以下、役員名)
そしてメイン入口の左側には、シーソーで遊ぶ子供のモニュメント。仲本まゆみさんの作品です。
なんか、子供の表情が良いんですよね。
兄:「どやー!俺がシーソー踏んづけたら、もう動かれへんやろ!」(なぜか関西弁)
妹:「・・・(ガキめ)」
(2015年1月訪問)
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