富士本という町名は、かつて富士山を祭神とする浅間神社があったことにちなむもので、その浅間社のあった場所こそが現在のわくわく公園だそうです(市報こくぶんじより)。
公園のすぐ隣に小さなお社がありましたが、これは浅間神社とは関係なさそうです。
さて、現在の富士本わくわく公園。
住宅に囲まれて奥まった場所にあり、メインの出入口となる西口以外は細い路地のような道から入ってくる形になります。下の写真は南口。
西口だけは十分に広い間口を持っており、公園の存在をしっかりと示しています。
が、路地からバイクで公園を通り抜ける人が多かったのでしょうか、過剰なまでの車止めで守られています。写真の左端の方、植栽帯まで車止めがはみ出しているのは、この辺りを乗り越えて出入りする人がいたためだと思われます。
中に入って行くと、大きなケヤキを始め、たくさんの樹木に囲まれた広場があります。
遊具は滑り台、ブランコ、揺れる動物など。広場が中心で、それほど遊具の多い公園ではありません。
高木がよく育っていること自体は良いことですが、この公園の場合は周りに住宅が多いため、隣家と公園とを遮蔽するために茂らせているようです。
ここなどは、外周フェンスの前に、後になってからかなり密に植栽を施しています。
あまりに樹木が茂りすぎて、看板をまともに読むこともできなくなっているところもありました。
手前の注意書きはともかく、奥にある避難所案内が見えないのは問題があるように思います。
●市報こくぶんじ 平成19年12月15日号
『地名から見る国分寺市の歴史 第15回 富士本』より
富士本は、昭和41年2月1日町名変更・地番整理を実施しました。一丁目から三丁目までです。町名の由来は大部分の面積を占める大字榎戸新田の小字富士本にちなみます。
小字富士本のいわれは、現在の富士本わくわく公園(富士本三丁目)に浅間社があったことによります。
浅間社は祭神が木花開耶姫ノ命(このはなさくやのひめのみこと)、つまり富士山です。
明治10(1886)年台風により社殿が倒壊し、祭神は榎戸新田鎮守の愛宕神社へ移されました。その後この場所には明治30年から里仁(りじん)尋常小学校(第二小学校の前身)が建設され、昭和4年に現在の二小の場所へ移るまで西部地域の学校がおかれました。
(2014年10月訪問)
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