こうした地形・立地のため1944年の東南海地震、1854年の安政東海地震など、しばしば津波や高潮の被害を受けてきました。
そのうえ2012年(平成24年)3月に内閣府「南海トラフの巨大地震モデル検討会」が示した想定津波高によれば、袋井市の沿岸には11.4mの津波が押し寄せる恐れがあるとされ、近くに避難可能な高層建物がない湊地区での津波避難対応が問題となりました。
そこで市では、国道150号沿いの商業施設跡地を買収して人工盛土を築き、これを津波避難施設とすることを決めました。これが湊命山(平成の命山)です。
ちなみに「平成の」とあるのは、この地区には江戸時代に津波や高潮からの避難場所として築かれた大野命山、中新田命山という高さ数メートルの盛土段があるからです(いずれも県指定史跡)。
平成のものは江戸のものとは比べものにならない大きさで、避難場所となる頂上広場の面積が約1,340平米(収容人数1,340人)、盛土高さが地上高約10メートル(海抜12.8メートル)。盛土には河川改修の残土(浚渫土)が使われました。
離れたところから見るとこんな感じ。飾り気はなく、まさしく「盛土」です。
登り口は4方向に階段があり、車いすや車両が通れるスロープも1本通じています。
斜面部は、すべて芝張りで、外から見る限りは斜面を固定するコンクリート枠などは用いられていないようです。
まだ整備から間がないのできれいに見えますが、将来的にもずっと安定した斜面が保たれるのか、草刈りを続けて美観を維持できるのかなど、いくつかの疑問も生じます。ひな壇状にする、樹木を植えるなどの比較検討はされたのでしょうか?
避難場所となる山頂部はこんな感じ。
おおむねこの写真の範囲に、最大で1300人からが避難できるという設定です。
おおむねこの写真の範囲に、最大で1300人からが避難できるという設定です。
ここもあまり飾り気はなく、芝生とバラス敷きが半々くらいの広場に、ソーラー式の照明&時計や放送設備だけがあります。防災倉庫などは、ここにはありません。
それではさすがに日常利用での快適さがありませんので、一部分だけ植樹がされてアクセントになっていました。
また造成・整備は昨年度(2013年度)のうちに終わったと聞いていたのですが、行ってみると山頂部で工事をしていました。掘り返している部分の規模などを見ると、東屋かパーゴラをつくるのではないかと思います。
じつは計画段階でも市の担当者にお話しをうかがったことがあって、その時は「まず津波避難施設としての面積確保を重視しているが、それでは日常的に誰も来なくなるし、いざつくり始めると地元からの色々な要望もあるしで、山頂部の使い方については検討中」ということでした。
個人的には、日常的な使い勝手の面からも、また津波から逃げてきた人をずっと地べたに座らせるのも気の毒なので、少しくらいはベンチや東屋が必要だろうと思いました。
また、どうせ盛土になっているのだから、山頂部で半地下構造のものにすれば避難有効面積を確保しつつ簡易な防災倉庫もつくれたのではないかと思います(重量物を保管できるような構造にするのは大変でしょうが)。
ちなみに山裾にはトイレや駐車場、ベンチなどがあって、日常的な散策や運動などの需要に応えられるようになっています。
山頂部から海の方に向かってすこしカメラのズームを効かせると、集落の向こう側、1キロほど離れた海岸砂丘上の松林がわかります。最大規模の南海トラフ地震が起きれば、この松林を越えて津波が襲ってくることになります。
そんなことが無いように祈りたいのですが、遠くない将来に起こると考えて、できる準備はしておかねばなりません。
なお、命山は都市公園でもなく、緑地でもない、今まで袋井市にはなかったタイプのオープンスペースだということで、市では「命山条例」という独自条例を定めて管理にあたっています。
これは、今後も近隣の数地区で命山をつくる予定があることとも関係するのだろうと思われます。
(2014年9月訪問)
0 件のコメント:
コメントを投稿