この地区のシンボルとも言える三ツ星ベルト本社工場のタワーを望む絶好の位置にある浜添公園ですが、今回も、 (株)総合計画機構が所蔵する阪神・淡路大震災1週間後の記録写真をお借りして見比べてみました(当時の写真は下に撮影年を記載)。
三方を建物に囲まれた奥行きの長い長方形をしており、東屋のある入口付近はブロック舗装の広場、奥の方は滑り台のある土舗装の広場になっています。
入口横にある東屋は、震災時には隣の建物が崩れ落ちてきて潰されていました。
現在の東屋と形状、サイズなどよく似ているので、もしかすると更新ではなく必要な補修をおこなったうえで再利用しているのかも知れません。
1995年1月撮影 (株)総合計画機構所蔵 |
土の広場は、写真では分かりにくいのですが、変形というか何というか、四角い広場の一つの角が土盛りされて、傾斜が付けられています。
遊び場・遊具の一形態として築山がある公園というのはよく見かけますが、広場全体を傾けるのは、あまり見たことがありません。
盛土部分のコンクリート枠に近寄ってみると、柵の跡がありました。
震災時の写真を見ると膝丈高くらいの柵があったようなので、以前はこの傾斜地になにか遊具があったのかも知れません。
入口広場には、No.675 真野公園にもあった金属製の遊具(?)に似たものが。
しかし真野公園のものは遊び方がよくわかりませんでしたが、こちらのものはトラックを横から見たような形をしており、ごっこ遊びに使えるような気がします。
しかし、トラックの荷台部分は手前に曲がった曲線形状をしており、どうにもピンと来る遊び方がありません。
反射角が難しくて練習になる投てき板?
そして、阪神・淡路大震災の頃の記録写真にも写り混んでいるのが、こちらの大気観測施設の跡。地元の方が選ぶ「真野地区歴史文化遺産」に登録されています。
建物の設置から40年ほどが経過していますので、もう20年くらい経てば全市的な文化財としての価値も認められるかも知れません。
■現地の解説板より「旧苅藻大気観測所」
この建物は、昭和47年6月27日に浜添公園内に設置され、苅藻大気観測所として使われ、真野地区近辺の二酸化硫黄(SO2)、窒素酸化物(NOx)、浮遊粒子状物質(SPM)が測定されてきました。公害対策の進展に伴い大気監視のあり方も変わり、平成19年3月31日(2007年)に廃止されました。
昭和40年前後は公害問題が深刻化し、真野地区のまちづくりは公害追放運動から始まったといわれますが、環境が改善された今、当時の状況を思い起こす物的な手がかりはほとんど残されておりません。この大気観測所は、当時の公害の深刻さを証言する貴重な歴史史料であります。神戸市との協議のもと、浜添公園内に保存するものです。
平成19年5月31日 真野地区まちづくり推進会
真野地区まちづくり推進会は、この建物を真野地区歴史文化遺産に登録し保全していきます。
(2014年4月訪問)
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