越中公園は、大阪市中央区の旧・越中町(1979年まで)にある小公園です。
このあたりは大坂城の南方にあたり豊臣時代には多くの大名屋敷が立ち並んでいた一帯です。越中町の名も、屋敷を構えていた越中守細川忠興にちなむものだと言います。
が、どちらかと言えば、その妻・細川ガラシャの終焉の地という方が通りがよいように思います。
資料によれば面積は約6,700平米ありますので、市街地ではかなりゆとりのある広さです。
そのうちの半分くらいがグラウンド(多目的広場)に、残りの半分くらいが、真ん中あたりでイチョウなど高木の植栽帯によって区分され、遊具広場と広場とになっています。
パーゴラもずいぶん細長く、グランド側と遊具広場側の両方を眺めやすい位置に置かれています。
訪れたのはサクラの満開を少しすぎた平日でしたが、公園中に多くの人が集まっており、写真を撮るのも憚られるほどでした。
ところで、公園内には「青刻昆布発祥の地」の碑があります。
大阪では出汁といえば昆布。そのほか刻み昆布、塩昆布、おぼろ昆布などを扱う昆布の店が数多くありますが、それら加工品の原点とも言えるのが青刻昆布で、それの発祥がこの公園を含む上町台地エリアだということです。
私も昆布は好きですが、関ヶ原の戦いに際して自らの命を断った悲劇のキリシタン・細川ガラシャからはずいぶん遠いところへ来てしまった気もする越中公園でした。
●現地の石碑より「青刻昆布発祥の地」
昆布加工品の原点である青刻昆布の主産地大阪における創始は1721年(享保6年)頃と伝えられる。文化年間に清国(中国)に試売し、1820年頃から販路を拡張、専ら大阪上町台地において製造していた。
1900年(明治33年)には、大阪の刻昆布が国の重要物産品に指定されている。
今日大阪の昆布加工品は、なにわ名物として広く認められ、大阪の食文化に大きく寄与しており、1998年(平成10年)には大阪特産物品として国により認証された。
大阪昆布商工同業会(起源は明治34年認可の大阪刻昆布製造同業組合)は、平成13年に百周年を向かえた(転記注釈:原文まま)のを記念してこの碑を建之する平成13年3月建立 大阪昆布商工同業会
(2014年4月訪問)
0 件のコメント:
コメントを投稿