面白いのは、最初からこの公園に設置するために銅像がつくられたわけではなく、本来の事業が中断して行き場がなく埋もれていた銅像を引き取るために公園がつくられたという点です。
ですので、薩摩藩屋敷をイメージしたという門を潜り、展示室兼お土産屋さんを通り抜けると、石敷きの広場の中にあるのは巨大な西郷隆盛像のみ。銅像周囲の仕立ても、団体で記念写真を撮るのに適した形になっています。
(夕方の飛行機に乗る前に立ち寄ったので、思いっきり逆光の写真しか撮れませんでした↓)
少し角度を変えて。
周囲に比較するものがあまりないので大きさが今ひとつ伝わりにくいですが、現地の解説によれば銅像の高さは10.5メートル(台座含め15.5メートル)、重さは30トン、胴回りは5.6メートルで、「偉人像としては」日本一の銅像だということです。
(※ いちおう調べてみると、長崎県天草村には15mの天草四郎像、宮崎県延岡市には17mの弘法大師像、があるということなので、解説は設置された時点での日本一だと理解されます)。
●現地・展示館内の解説より抜粋
(前略)この銅像は、佐賀県出身の彫刻家 故・古賀忠雄氏が製作し、「現代を見詰める西郷隆盛」のタイトルで昭和52年西郷没後100年の記念事業として京都市に建立する予定でしたが、この計画が挫折となり富山県高岡市の鋳造会社の倉庫に10年もの間眠ったままでした。
このことが昭和62年6月の地元新聞の紙面に「富山の倉庫に眠る西郷どんの巨大立像」として報道され、鹿児島への里帰りを望む声が県内各地に湧き上がりました。溝辺町でも「溝辺町商工立志会」の方々が、郷里鹿児島の空の玄関口、鹿児島空港前に建立しようと立ち上がりました。(後略)
ちなみに、この解説の横に件の「富山の倉庫に眠る~」の記事コピーも展示されているのですが、それによれば彫刻の古賀先生、東京・練馬にあるアトリエでこの像を製作したもので、住宅地に忽然と現れた巨大像にヘリコプター取材までやって来て大変だったそうです。さもありなん。
しかし、確かに巨大像なのですが、公園入口からは90メートルほど離れて一番奥まったところに設置されている上に建物が間に入るため、現状では全然目立っていないように思います(実際、空港沿いの道路からはまったく見えません)。
せっかくの巨大像なので目立つことを重視すれば、公園の中に収めてかしこまった外構をつくるのではなく、空港ターミナルを出た所、道路沿いなどに設置したほうが良かったのではないかと思います。
目立つことが目的ではなく「落ち着いた環境で西郷像と向き合ってもらう」ためには、このような空間が必要なのだという感想で締めくくります。
(2013年12月訪問)
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