その記事に書きましたが、応神天皇の頃(300年頃)に中国の呉から「漢織(あやはとり)、呉織(くれはとり)」という機織りの技術を持つ女性が渡ってきて、松原公園のあたりに上陸したという伝承があります。
この二人の女性の名を伝えるのが、西宮市の津門綾羽町と津門呉羽町です。今回の津門公園は、このうちの津門綾羽町にあります。
松原公園では「染殿池」があって幾ばくか伝承を偲ぶことができましたが、津門公園には特にそうした演出物はなく、のっぺりした印象の公園です。
敷地の南3/4くらいを使って多目的広場を取り、北1/4にコンパクトに遊具広場を収めています。
ですので遊具広場は細長く、樹下に鉄棒、砂場、滑り台などが一列に並んでいます。
そして、さらに遊具広場の北奥には園路状のスペースがあります。普通ならわざわざこんなところに園路を取る必要もなく、ぜんぶ広場にしてしまえば良さそうなものですが。
どうやらこちらのお宅が一般道に接道しておらず、公園内を通らないと往き来ができないようなのです。
今までもNo.344 根岸公園、No.538 三軒屋公園などで出くわしましたが、「玄関出たら公園の家」の不思議さは募るばかりです。
公園整備以前からの土地利用や、整備に際しての協定や覚え書きなどもあってのことだろうとは思いますが...
(2014年3月訪問)
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