碑名は「三烈士墓碑」と刻まれていて、碑文は当然のごとく漢文なのですが読みやすい書体でしっかりと彫られており、天野豊三郎、佐藤桃太郎、関口有之助の3人が烈士であり、戊辰戦争の折に旧幕側で戦って庄内藩領にて捕らえられ、処刑されたことが記されていました。どこの石碑もこれくらい読みやすいと良いのですが。
撰文は日本の近代ランドスケープ論の先駆となった『日本風景論』で知られる地理学者・志賀重昂(関口有之助と同じ岡崎藩の出身)によるものです。
ちなみに、こちらが公園の道向かいにある妙法寺。
処刑され妙法寺に埋葬された3人ではありましたが、刑に服するまで身の回りの世話をしていた豪農・三浦半三郎によって首が運び出され、改めて葬儀がおこなわれました。ですので、お墓は三浦半三郎の住んでいた鶴岡市内にあるそうです。その下りは、地元紙の記事にて。
●庄内日報「郷土の先人・先覚218 三浦半三郎」
読みやすい石碑に比べて、読みにくいのが公園入口の門柱に置かれた竣工の銘板。
「昭和34年3月竣工」と書いてあるはずですが、「昭」「和」「年」が、あまり見る機会のない異体字になっています。それこそ墓碑などでは見かけることもありますが、公園の銘板では珍しいのではないでしょうか。
遊具などの施設については、けっして新しくはないのですが、ペンキは割合きれいに塗り直されていて丁寧に使われている様子でした。
(2013年11月訪問)
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