阪神電鉄の本線となんば線とが合流する大物駅の東側、その2本の線路に挟まれるようにあるのが小田南公園です。
もともと大日本紡績の巨大な工場があった場所で、1965年(昭和40年)に工場が廃止になり、ゴルフ練習場などとして利用された後、1983年(昭和58年)から徐々に公園が開園しています。
都市計画上は12.1ヘクタールの総合公園で、なんば線の南側にある広い空地も公園計画地になっています。完成すれば大物川緑地を通じてNo.366の北浜公園や北側の大物公園と連続し、全体で2キロくらいある緑地帯を形成することになります。が、今はまだ5.3ヘクタール。とは言え市街地ではかなり広い方です。
現状では、野球場と少年野球場(多目的広場)が各1面、噴水池のある広場、遊具広場などの施設があります。
野球場はナイター施設があり、芝生もフカフカに見えます。
それと比べると、少年野球場はひと回り小さく、芝生もワンランク下の管理状態です。
遊具広場の方は、遊具そのものはさほど大きくも多くもありませんが、周りに広場あり、森あり、池ありなので、遊び場としては充実していると思います。
地下水を使った流れから続く噴水池は、とくにビオトープとして整備されたものではありませんが、アカミミガメやアメリカザリガニなど、都市の身近な生き物がたくさんいました。
またジャブジャブ池のように中に入り込むような構造にもなっていませんが、流れの部分は浅くなっているので、夏場は子供たちが遊んでいるのではないでしょうか。
東・南側には鉄鋼や製罐の大きな工場があるため、そちらとの境界部は緩衝緑地としてクス、クロガネモチ、ヤマモモなど常緑の林になっています。今どきの公園内の樹林としてはやや重苦しい感じですが、仕方のないところでしょう。
■現地の解説板より『大日本紡績尼崎工場跡』
明治22年(1889)尼崎における最初の大工場として設立された尼崎紡績会社は、大正5年(1916)、この地に新工場の建設を開始し、大正7年(1918)、社名が大日本紡績株式会社と改称された年に操業を開始しました。
従来の本社工場を含めた敷地は約19万平方メートルにおよび、現在の大物公園、県立尼崎病院、小田南公園一帯がそれにあたります。
尼崎工場は、昭和20年(1945)6月15日の空襲で建物の大部分を失い、戦後は残された一部の建物を利用し、縫製工場として再発足しましたが、昭和40年(1965)年に廃止されました。尼崎市教育委員会
かつての公害都市のイメージがつきまとう向きもありますが、1960~70年代から公園緑地の整備その他の様々な公害対策が進められており、意外に駅近に大きくて楽しい公園がある尼崎市の小田南公園でした。
(2013年10月訪問)
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