打出公園は、芦屋市の東部、旧・打出村の区域で、阪神電鉄・打出駅から徒歩2~3分の住宅地の中にあります。面積は1700平米ほどの小公園ですが、隣には市立図書館分館や幼稚園などもあって公共施設が集まっており、打出地区の中心的な公園だと言えます。
ここでは昭和の中頃、1959年(昭和34年)から2003年(平成15年)までの40年以上、タイワンザルが飼われており、近所では「お猿の公園」「おさる公園」と呼ばれていたそうです。ほかにもリスや小鳥、孔雀なども飼われており、都市内の小規模な動物公園として親しまれていました。
しかし、近年は新しい動物が補充されることもなくなり、サルがいなくなった後も頑張っていたセキセイインコが2010年(平成22年)に市内の幼稚園や保育園に引き取られたことで、動物公園としての役割は終えました。
ということで、本ブログのラベルとしては「動物のいる公園」を付けていますが、本当は「動物のいた公園」です。
ちなみに芦屋市のホームページでは1949年(昭和24年)以降の広報紙が公開されているのですが、それに公園開設時の記事も掲載されていました。公園開設と同時に動物がやって来ているので、計画段階から動物ありきで考えられていたものと思われます。
■『広報あしや 昭和34年5月5日号』より「打出公園にサル、リス、小鳥」
小槌町の市立図書館の南側に新らしい公園ができあがりました。園内にはブランコ、滑り台などのほかに、猿舎、鳥小舎、リス小舎がありますが、5月6日頃には台湾猿4ひき、せきせいいんこ、孔雀鳩、うずらなど小鳥40羽、しまリス15ひきがはいる予定です。遊具はもちろん、これらのかわいいお友だちもかわいがってください。
その後、鳥小舎、リス小舎は撤去されたのですが、主のいなくなった猿舎だけは残されています。
その理由は、高校生の頃まで近くに住んでいた村上春樹の1979年のデビュー作『風の歌を聴け』に、この公園が「猿の檻のある公園」として登場するため、地元から保存要望があったためと聞きます。作品を読んでいないので、どういう登場の仕方をするのかは知りませんが。
モニュメントとしては大きすぎるし、建物の裏側に死角ができるので公園管理上は苦労もあるかと思いますが、公園としては地域に愛されることが優先なので、妥当な判断でしょう。
しか~し、地元商店街が企画して設置されたという看板は「なんだかよくわからない」というのが正直なところです。ポップなイラストで黄色い襷をかけたサルが『海辺のカフカ』を読んでいたり(カフカの猿)、説教臭いんだか親しみ深いんだか分からないコメントが添えられていたり...
村上春樹の世界を訪ねてくる愛好家たちには、これで作品のイメージをなぞったり膨らませたりできるのでしょうか?
■打出公園は…!「おさる公園」
(男)打出公園、通称「おさる公園」には、ちょっとだけ昔…1959年、芦屋動物愛護協会の寄附によって、おさるやシマリスがやってきて以来、孔雀やインコ、ウサギなど多くの動物たちがいたんだ。あの村上春樹さんのデビュー作にも、猿の檻のある公園として登場するんだよ!
けれど、人と同じく彼らの命も永遠ではなく…。いつしか、ここには誰もいなくなってしまったんだ。ぼくは、とてもとても悲しいよ。
(女)人々の優しいキモチに支えられて、人と動物がつながっていたのね。寂しい…
でもね、想像してみて。彼らはきっと、私たちの心にいつまでもいるはずよ。イマジネーションを広げて!かれらはいつでもあそびにきてくれるわ。
このよく分からない看板を、サルとの恩讐を越えたカニがじっと見守っています。
ちなみに、公園の北に隣接する市立図書館分館は明治の頃の重厚な建物で、まちの顔としての趣があります。こちらも村上春樹のエッセイなどに登場するそうです。
いつか村上春樹がノーベル文学賞を取ることがあれば文学碑が建つかも知れないのですが、猿舎の撤去とどちらが早いか気になる打出公園でした。
(2013年9月訪問)
【2024年7月追記】
全面的に再整備されて、かなり違った姿の公園として生まれ変わったので、新しい記事を書きました。
0 件のコメント:
コメントを投稿