下の写真で、3つ並んだプランターの手前側が東山公園、その向こうの三角地が東山街かど公園です。
もともと、こちらは遺跡の保存・展示を主眼においた小公園で、この遺跡というのがNo.512の東山貝塚公園で触れた「崖の上の台地にある住居跡」の一部分になるようです。
ということで、公園の一角に貝塚遺跡の解説板があるので読んでみますが、これまた「東山貝塚遺跡」という名前なのに、竪穴式住居のことしか触れていません(泣)。想像するに、やはり貝塚そのものの遺跡は破壊されて残っていないのかも知れません。
●現地の解説板より「東山貝塚遺跡」
東山3-20-1(東山街かど公園)この公園の地下1mのところから、縄文時代中期(約4,500年~5,000年前)の竪穴住居址が2軒発見されました。
1号住居址は直径約6mの住居で六角形に近い形をしていました。住居址の中央のやや北寄りに火をたいた炉の跡があり、壁ぎわからは大型の深鉢が横倒しの状態でみつかりました。また、この住居には建て直したあとが残っていました。
2号住居址は直径約3.5mのほぼ円に近い形をしていました。この住居址は4本の柱穴があり、炉には深鉢が埋められていました。
2号住居址のあった場所を白いタイルで表示してあります。炉のあとは赤いタイルで、柱穴は丸プレートで示しています。
この遺跡から発見された土器などは目黒区教育委員会で保管しています。
平成22年3月 目黒区教育委員会
しかしながら、この公園が悲しいのは、せっかくの展示が、後の整備や管理によって蔑ろにされているところ。
それがこれ。2号住居址を表示する白いタイルの真ん中にプランターが置かれています。
おそらく解説にあった「赤いタイル」で表示した炉の跡は、このプランターの真下に隠れていると思われますが、一人で動かせるような重さではなかったので確認はできませんでした。
さらに、この部分の歩道はもともと公園と一体的な石張り(ペイヴメント)だったようなのですが、それをアスファルトに変更する工事の際に、歩道に表示されていた白いタイルの一部がカットされており、遺構表示としては非常に中途半端なものになってしまっています。
なんとかギリギリ、柱跡表示(縁石のそばにある丸いプレート)は残っているのですが...
おそらく、公園整備の時に考えた色々なことが、後になって歩道の整備やプランターの設置に関わる人にはほとんど理解されていないのだろうと想像されます。
せっかくの展示ですので、きちんと見られるようにして欲しいものです。
●目黒区による公園紹介ページ
(2013年5月訪問)
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