459/1000 浅間車庫前公園(横浜市西区)

2013/09/13

横浜市西区 神奈川県 身近な公園

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「浅間(せんげん)車庫前公園は、その名の通り横浜市バスの浅間車庫の前にある小公園です」と書きたかったのですが、現在はバス車庫の方が浅間町営業所と名乗っているようです。
そもそも「車庫」と名乗っていたのは路面電車の時代だと思うので、その頃から公園はあったのかも知れません。

浅間車庫前公園(横浜市西区)

目の前のバス営業所は、同じ敷地内に屋内プールなどが入った西スポーツセンターもあるので、直近の方以外の利用もあるような気がします。

浅間車庫前公園(横浜市西区)

公園の向こうに見える白い建物が西スポーツセンター。本当に目と鼻の先です。

浅間車庫前公園(横浜市西区)

公園内は、比較的最近にリニューアル工事がおこなわれたようで、以前からのブランコや砂場の横に、真新しい複合遊具やままごと用の家遊具が並んでいます。

浅間車庫前公園(横浜市西区)
浅間車庫前公園(横浜市西区)

古株っぽい砂場は、ホタテ貝形。古墳のようにも見えます。

浅間車庫前公園(横浜市西区)

目に付くのは「遊具であそぶときのおやくそく」看板。
こういうものが必要とされる理由は十分に承知していますが、いざ公園内で目にすると「小うるさいことを細々と...」という気持ちになるのも事実です。

浅間車庫前公園(横浜市西区)

また、公園の一角には、明治・大正にこのあたりで地域のために尽力された教育者・木村坦乎先生の石碑があります。

浅間車庫前公園(横浜市西区)
■現地の解説板より「木村坦乎(たんこ)先生終焉の地の碑」
明治・大正期の教育者で、市民に敬愛された木村坦乎先生(1853~1923年)は、大正3年、帷子小学校に勤務していた時、自ら小学校を退職し、その退職金で、浅間町大新田に12畳半の小さな寺子屋式、授業料無料の鄰徳小学校を始めました。この地域は当時、埋め立てなどで各地から集まった労働者の子供が、貧困のために就学できずにいたため、学校の設立は、これらの子供の救済が目的でした。
木村坦乎先生は、単に校長というだけでなく、現在でいう民生委員的な役割や、少年保護司なども担われ、地元と共に労を惜しまず活動されました。しかしながら、関東大震災の時に校舎が倒壊し、その下敷きとなって71歳の生涯を閉じられました。

「終焉の地」という碑があると、公園が鄰徳小学校の跡地のように思ってしまいますが、実際は1ブロック隣の旧・浅間コミュニティハウス(現在は閉館)の敷地がそれにあたります。
地元では、コミュニティハウスの跡地利用が進んで新しい地域施設が建てば、石碑もそちらの方に移したいという意向があるそうです。

(2013年4月訪問)

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