東遊園地は三宮駅から500mほど、神戸市役所のすぐ南にあり、神戸市を代表する都市公園です。
1868年(明治元年)に外国人居留地内に開設された公園で、わが国初の西洋式運動公園であったとされます。実際、この公園を舞台として野球、サッカー、ボウリングなどのスポーツがおこなわれたと言います。

もともとは公園北側の現在は市役所が建っているところまでが公園区域で、逆に南側の現在は公園事務所やレストランがあるあたりは外国倶楽部などの建物が建っていたようですが、1955年(昭和30年)に外国倶楽部がトアロードに移転、1957年(昭和32年)に公園の北半分を使って神戸市庁舎が建てられたため、だいたい今の範囲が公園となったようです。年代ごとの敷地の細かい出入りはよくわかりませんが。

そうした歴史と立地にあるため、神戸ルミナリエ神戸まつりなど、神戸を代表する行催事の会場となっているほか、ミニコンサートやデモなどにもよく使われます。
ちょうど訪れた時には、ドイツからのビールフェアが開催中でした。まだ少し時間が早かったので写真では空いていますが、なかなか好評だったと聞きます。
そしてほかの都市でも見られたことですが、その都市を代表する公園として様々な人の様々な思いが形になって詰め込まれています。

そしてほかの都市でも見られたことですが、このように街の顔となる公園には、様々な人の様々な思いが形になって詰め込まれています。
まず外せないのが、阪神・淡路大震災「慰霊と復興のモニュメント」。
滝のような噴水の下が小部屋になっており、震災で亡くなられた方々の名前を刻んだプレートが収められています。
東遊園地(神戸市中央区)

こちらは、同じくモニュメント「1.17希望の灯り」。
昼間なので見えにくいですが、透明ケースの中には火が灯されており、「希望の灯り」として各地に分灯されています。
東遊園地(神戸市中央区)

震災関連で言うと、公園の北端には「マリーナ像」があります。
震災で倒壊し、後に修復されたものの手に持った時計は震災の発生時刻で止まったままというものです。
ちなみに三宮駅前にも同じ作者(新谷琇紀)の金色の女性像があって、時々間違えてしまうことがあります。というか、神戸市出身で、活動拠点も神戸に置いていた同氏の作品は、市内の至る所で見ることができますが。
東遊園地(神戸市中央区)

公園内にあるパーゴラが斜めにずれているのは、地震で生じた段差をそのままにして補修したからです。2段だけの階段も補修の時に付けられたものでしょう。
東遊園地(神戸市中央区)

あと、東遊園地とフラワーロードの歩道は一体的になっているため、ここが公園なのかどうかよくわかりませんが、皇后陛下の御歌碑。
地震発生から2週間ほど後に被災地を訪問した際のことを思い、翌年の歌会始で詠まれたものです。
東遊園地(神戸市中央区)

同じく歩道には、液状化で石敷き歩道がグチャグチャになった箇所が、アスファルトで簡単に補修されたままの状態で保存されています。
東遊園地(神戸市中央区)

今までのものとは違い、とくに解説もなく公園の片隅にひっそりと設置されているのが、復興土地区画整理事業のモニュメント。
神戸市の場合、13地区(市施行11、組合施行2)で震災復興土地区画整理事業が実施され、すべてが完了するまでに15年以上かかりました。

こうした復興事業を迅速に進めるために、市内各地に測量用の基準点が設けられました。
このモニュメントも、初めて見た時は「ちょっと豪華な基準点?」と思いましたが、ほかの場所にある基準点には、ちゃんと「復興基準点」と書かれているのに対して、これには「区画整理」としか書かれていませんので、やはりモニュメントなのだと思います。

ほかにも「命の灯台」など震災から10年を経てつくられたものもあり、そのほかにも私が気づいていないものもあるかも知れません。

モニュメントを追っていくだけで長くなったので、珍しく次回に続きます。

●阪神・淡路大震災モニュメントについてはこちらも

(2013年4、5月訪問)

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