この辛島町という町名は、明治時代の市長・辛島格(からしま いたる)に因むものです。
辛島は、当時この場所に広い面積を占めていた陸軍の練兵場を郊外に移転させ、跡地を新市街地として発展させる礎を築いた人物です。
こちらが辛島公園の中にある辛島格の顕彰碑。碑は古いものですが、横に新しい解説板が建てられていました。
しかし、この解説板がガラスかアクリルかの透明板に文字を刻んだもので、後ろが透けたり周りが写り込んだりして、読みにくいことこの上なし。実用レベルとはとても思えない代物でした。
●辛島格顕彰碑
辛島格先生は、安政元年(1854)城下の塩屋町に生まれ、明治30年(1897)から大正2年(1913)まで16年間熊本市長を勤められ、同年亡くなられました。
その間、市の中心部を占めていた山崎練兵場を郊外に移して跡地を新市街とし、また市の基本財産の造成や教育事業の振興などに大きな功績を残されました。
熊本市は、明治41年に新市街の一部を辛島町と名付け、大正10年にはこの顕彰碑を建ててその功績を称え、昭和34年に開設されたこの公園も辛島公園と命名しました。
熊本市
う~む、市にとって多大な功績のあった人物だという点にまったく異論はありませんが、市長在任中に当の本人の名に因む町名が付いてしまうあたりは、今日の感覚では理解しがたいですね...
さて、それはさておき現在の辛島公園ですが、市電の通る交通量の多い道路の角に面しており、反対側は百貨店とバスターミナルがあるということで、街と一体的な広場型の公園となっています。
敷地の大半は石張りの広場で、プランターが幾つか置かれていますが、イベント時などにはこれを移動させて広く使えるようになっています。
石張りは周囲の歩道とデザインが統一されており、また柵などもないためフラッと公園内に入って来やすい構造になっています。
ただ、広場との兼ね合いではあるのですが、日除けになる高木はほとんど無く、夏場には照り返しでかなり暑くなるのではないかと思われます。水景施設はあるのですが、周りにゆっくりと腰を下ろせるような構造にはなっていませんし。
もっとも、すぐ近くに大木で有名な花畑公園や、百貨店、アーケード街などもありますので、無理にこの公園で暑いのを我慢しなくてもよいのですが。
ちなみに熊本市の資料によれば、この場所にはもともと日清戦争の勝利を記念した「征清記念碑公園」があったそうです。その記念碑はどこへ行ったのか、公園の詳しい変遷など、また機会があれば調べてみたいと思います。
(2013年5月訪問)
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