もとは浜松鉄道という別会社で、沿線には参拝客の多い名刹や茶畑、No.370 和地山公園の回に出てきた陸軍施設などもあって賑わっていたそうですが、戦後まもなくに遠州鉄道と合併、1964年(昭和39年)には廃線となりました。
路線距離は約25kmありましたが、廃線のうち浜松城公園の北側あたりは一般道になっており、そこからやや西寄りの鹿谷町付近から遊歩道として整備されています(終わりまでは行っていないので、何キロくらい続くのかは不明です)。
下の写真が下谷町付近で一般道から遊歩道が分かれるところ。
名物だった機関車の煙突を模したモニュメント、同じく車輪を模した車止め、、国道の下をくぐる煉瓦造のトンネルと、導入部から美しく整備されています。
トンネルの入口には往事の軽便鉄道の姿がパネルで展示されています。こういうのは分かりやすくて良いですね。
機関車の煙突の形がラッキョウに似ていたのでラッキョウ軽便というらしいのですが、写真を見ても「ふ~ん?」というところがあります。似てるかな?
トンネルの中はこんな感じ。自転車がすれ違うと危なっかしく感じるくらいの幅です。軽便鉄道とはいえ、ほんとにコンパクトです。
トンネルの中にも写真パネルが飾られています。
電車時代になってからの写真は、今見ると危なっかしくてしかたがないようなところを走っています。
駅があった場所には、このようなデザインパネルが設置されています。
トンネルでないところはこんな感じ。植栽帯がある分、トンネルの中よりも幅広に感じます。
スタートからしばらく進んだ浜松市立高校の近くにあるトンネルは、最近に再整備されたようで煉瓦がピカピカしていました。
先ほどのスタート地点にあったトンネルとは、アーチの形状が異なります。
このトンネルの北側には、銀河鉄道風のモニュメントが整備されています。
こちらのモニュメントのアーチにあるトンネルは、下がすぼんだ形のものが採用されています。
...と思ってよく見たら、ただのモニュメントではなく滑り台になっています。
ということは、下のトンネル部分はくぐって遊べということか!
遊歩道はもうしばらく続き、その先の一般道路になっているところも廃線跡として辿っていけるそうですが、今回はここまででした。
●浜松市中区のページ「軽便鉄道奥山線(ラッキョウ軽便)」
(2013年3月訪問)
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