浜松の市街地は天竜川沿いに発達した低地にあるのですが、市役所(もとの浜松城)から静岡大学のある北の方に向かうと、だんだんと起伏の多い台地になってきます(さらに北に向かうと古戦場で有名な三方原の台地に繋がります)。
その台地上に、かつて陸軍の連隊と練兵場が置かれていました。終戦後、連隊跡地は静岡大学のキャンパスとなり、練兵場跡地の一部が和地山公園となりました。公園整備が1969年(昭和44年)ですので、終戦からの20数年の間はどのような状態だったのかはわかりませんが、その間も浜松まつり(大凧揚げ)の会場として利用されていたということなので、なんらか利用可能なオープンスペースのままだったと思われます。
また、静岡大学のキャンパス内には軍用地時代の建物が残っているそうです。
現在の和地山公園で軍用地時代の名残と言えば、昭和天皇が閲兵した際の記念碑。
と陸軍用地の境界石。どちらも公園の端の方にあるので、おそらく公園整備の際に場所を移してきたものと思われます。
公園施設としては、4面利用可能な野球場、球技場、ホールを持つ集会所、児童用プールなどを持つ大きな運動公園です。
逆光気味ですが、こちらが野球場。今でも、大凧揚げに十分使えそうな広さがあります。またドクターヘリや防災ヘリの臨時ヘリポートとして利用可能です。
防災と言えば、今でこそ近年の大地震に襲われた神戸や東北の名前が先に出るようになりましたが、それ以前は1970年代から東海地震に備えていた静岡県が先進県でした。和地山公園にも、このような防災トイレ(ベンチの腰掛け部分やマンホールの蓋を開けて上物をセットするとトイレになるもの)が設置されています。
こちらは遊具広場。一輪車というか四輪車というか、子供が乗って楽しく、また男子中学生がムキになって漕ぎまくって苦しそうな遊具がありました。
幼児用プールは2面あり、いわゆる徒渉池(ジャブジャブ池)ではなく、しっかりとプールの体裁をしています。
奥に見える方のプールには、No.365の三の丸公園にもいたタコがいました。
きれいにペンキを塗り直されて、別人(別タコ)のようですが。
あと、この公園で目立ったのが伐採木の再利用。
玉切り状になった幹は土留めやネットの隙間ふさぎに、破砕されたチップは樹のまわりの土壌改良に利用しています。
開園から40年を経て、総じて古びてきてはいるのですが、よく使われ、そして丁寧に管理されている印象のある公園でした。
●浜松公園緑地協会 和地山公園のページ
(2013年3月訪問)
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